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2010年12月

2010年12月29日 (水)

ドイツのハイパーインフレの原因と収束方法(No.30)

日本の借金が膨れあがり、やがてハイパーインフレになると言う人がいる。そう言って国民を恐怖に陥れれば、本も週刊誌も売れるから、悪徳業者達は金儲けのために、そのような発言を繰り返す。純真な国民は、すっかりそれに騙される。ドイツのハイパーインフレは有名だが、その実体を知れば、現在の日本の状況とは余りにも異なっており、日本はハイパーインフレなどになる可能性は全くないことが理解できる。

第一次世界大戦に敗北したドイツは連合国と1919年ヴェルサイユ条約に調印した。ドイツの支払う賠償金が1320億金マルクと決定されたが、なんとこれはドイツの税収の十数年分に相当した。毎年の支払額も46億金マルク(歳入の約7割)という莫大なものだった。イギリスやフランスなどの連合国は戦争に勝ったものの戦争で莫大な被害を被っており、その費用をすべてドイツに支払わせるべきだと主張し、このような巨額の賠償金の請求となった。しかしながら、このような巨額の賠償金はドイツ経済を破壊し、ヒットラーの台頭を許したという意味で、連合国にとって害あって益なしという結果になってしまった。

そもそも、賠償金というものは多ければ多いほどよいというものではない。1320億マルクと言っても、例えば1億マルク紙幣を1320枚刷れば返済可能というものではなかった。賠償金も正貨(金貨)で払わなければならなかったからだ。そういう意味では、お金を刷っても意味はなかった。賠償金だけでなく現物納付の義務もあった。5000両の機関車、15万両の列車、5千台の貨物自動車、4万頭の牛、12万匹の羊などだが、一般社会の賠償請求とは話しが全然違う。これらをドイツが生産してフランスが輸入しようとすると、フランスの生産者には大打撃になってしまい、フランスの生産者が反対するなどして、物納による賠償も進まなかった。

賠償金にしても、もしこの規模の賠償金の支払いが実現するとしたら、ドイツ経済が大発展し、近隣諸国がドイツの工業製品を輸入して外貨を稼いだ場合だから、そうなれば近隣諸国の工業は破滅する。そのことを予知したケインズは、この賠償額に強く反対したが押し切られた。

当然のことながら、賠償金の支払いは滞るようになった。それに怒ったフランスとベルギーは軍を派遣し、ドイツでも有数の工業地帯であるルール地帯を占領してしまった。ただでさえ戦争で生産応力が落ちているドイツで、ルール工業地帯まで没収されたわけで、失業者は町にあふれ、物不足でインフレとなった。ここまでくるとフランス軍はやり放題で、帝国銀行が所有していた128億の金を略奪し、ミュルハイム国立銀行支店に保管されていた未完成の紙幣をフランス軍が奪い、これを完成紙幣にして流通させた。ここまでやるとなると、こっそり偽造紙幣を新規に大量に印刷していたと考えてもおかしくない。

筆者の想像だが、中央銀行であるライヒスバンクも外人が乗っ取り、お金を刷りまくったと考えるのが自然ではないだろうか。ライヒスバンク自体が賠償問題の解決の一貫と考えられていたから連合国により国際管理されていた。その審査機関である評議員会の14名のうち、半数の7名は外国人(英国、フランス、イタリア、ベルギー、米国、オランダ、スイスから各1名)が任命され、発券業務の監督機関としての発券委員も外国人評議員が任命された。そしてこのライヒスバンクが政府から独立し、お金を刷りまくってハイパーインフレになった。このような状況は、アメリカにおいて通貨強奪したロス・チャイルド等の国際銀行家の手口を連想させる。

http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/no22-c6e3.html
http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/no-d68c.html

コーヒー一杯飲むのに、トランク一杯分の紙幣が必要だったとか、薪を買うのにリヤカー一杯の紙幣が必要だったが、それより紙幣を燃やした方が安くついたとか、笑い話のような話しが伝わっている。1923年1月には250マルクであったパンの値段が1923年12月には3990億円にまで値上がりした。

ライヒスバンクはドイツ政府が発行した国債を大量に買った。それだけでなく、私企業の手形の割引も行った。例えば、自分の会社で1億マルクの手形を勝手に作ってライヒスバンクに持って行けば、現金にしてもらえるのだ。こんなことをしていれば、ハイパーインフレになるのは当たり前だろう。金融業の得意なユダヤ人がここぞとばかり、混乱に乗じて荒稼ぎをしているのを見て、ヒットラーがユダヤ人に反感を持つようになったと言われている。

こんな状況が日本に起こりうるかと言えば、あり得ない。少々国債を発行したと言っても、十分制御可能な範囲であり、日銀が外人部隊に乗っ取られる可能性は全くないし、ましてや自分で勝手にお金を刷り始めることなど考えられない。外貨や海外純資産は、世界一多い。外国から巨額の賠償金を求められているわけでもない。物不足は発生しておらず、むしろ物余りだ。ハイパーインフレなど起こるわけがない。

このすさまじいドイツのインフレも、あっという間に収束してしまう。ドイツ・レンテン銀行が設立され、国内の土地を担保として1923年11月15日にレンテン・マルクを発行し、1レンテン・マルク=1兆マルクのデノミが実行された。インフレを収束させたのは、政府が財政健全化を発表したからである。レンテン・マルクの発行限度が320億マルク、政府信用限度が120億マルクとされた。またドイツ政府は通貨発行でファイナンスしていた財政政策を転換し、10月27日には政府雇用者数25%削減、臨時雇用者の解雇、65歳以上の強制退職を実施した。この政府の発表により国民が政府を信頼し、インフレは瞬時に止まった。これをレンテン・マルクの奇跡と呼んでいる。次の図は藤木裕(金融研究2000.6)から引用したものである。

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興味深いのは、インフレは政府のアナウンスで一気に収束したのだが、実際は政府はその後もしばらくお金を刷り続けているということがこの図から分かることだ。アナウンス効果が如何に絶大かということである。ドイツと同様に第一次世界大戦の敗戦国になったオーストリアも同様にハイパーインフレとなったが、1922年8月に国際連盟がオーストリアの財政制度改革に着手することが報道されると瞬く間にインフレが収束した。次の図も藤木裕(金融研究2000.6)から引用する。

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オーストリアの場合も、財政健全化の報道が流れて直ぐにインフレは収束した。制御不能のインフレなどあり得ないことが分かる。その報道の後、しばらく通貨発行は続くが、インフレ再発は無かった。

以上述べたように、現在の日本はハイパーインフレの心配は全くないし、インフレは制御可能だ。恐れず、大胆に経済復興のための大規模財政出動をすべきである。経済が活力を取り戻し、財政が健全化することは間違いない。

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2010年12月25日 (土)

借金頼みの予算編成?・・・、この借金も刷ったお金、財源は無尽蔵(No.29)

一般会計92.4兆円の来年度予算が閣議決定した。2年連続で借金が税収を上回るとマスコミが騒いでいる。是非一度、マスコミ関係者はこのブログを読んで、借金の意味を理解していただきたいものだ。借金は誰から借りているのか考えてもらいたい。もちろん、大部分は日本国民からだ。銀行等の金融機関を経由して国民から借りていると言ったほうが正確だ。

財務省によると、9月末の国の借金は908兆円になる。つまり国民一人当たり約750万円ものお金を国民が貸しているということになる。5人世帯だと3750万円も貸しているのだ。日本の家庭はそんなに金持ちなのだろうかと思うが、そんな実感はない。財務省のホームページから国債の保有者の割合を調べてみた。

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銀行など、金融機関が多く、海外の購入者は5%にすぎない。44兆円の新規国債が発行され、それを売ったお金を政府が財政支出に使ったらどうなるだろう。お金は医療・介護・公共投資・防衛・教育等様々な経路をたどり、結局は国民に渡る。国民が自宅の金庫に全部しまっておくことはあり得ない。銀行や郵貯に預けたり、生命保険の保険金として使ったり、年金の掛け金に使ったり、国債を買ったりする。銀行・郵便局・生命保険会社・社会保険庁等は有力な投資先が他に見つからないので、そのお金を次の年、国債などに投資する。

これはぐるぐる回っているだけで、持続可能であり、将来破綻するようなものではない。もし、銀行等にお金が無くなったら、日銀がお金を刷って流すことになっているので、決して資金が枯渇することはない。しかし、お金が一回りするごとに国は数十兆円の借金を増やしてしまう。このお金は金融機関が稼いだお金ではない。国民から預かったお金だ。預かったお金を再び貸し出すということは、お金を刷った(作り出した)ことになることだ。

例えば自分の車を貸したら、もう自分は車を持っていないから、もう一度貸すことは出来ない。しかし、国債を使い国が金融機関からお金を借り、それを使うとお金は金融機関に戻る。もう一度そのお金を国に貸すということは、実質的にお金を刷って貸していることと同じだ。刷って貸している限り、お金は無尽蔵に増やせる、つまりいくらでも国は借金を増やせることになる。もともと日銀が刷ったお金だが、金融機関がそれを国や国民に対して何重にも貸し出すことでお金が増え経済が発展する仕組みになっている。経済発展で銀行貸出は際限なく増えるものであり、増やさなければならないものである。

現在の日本には2つ問題があって、第一は、お金がいつまで経っても国の経済を発展させるためには使われないことと、第二は、もし国に対して金融機関がもうこれ以上金を貸せないと言ったときどうするかということだ。我々は日経の経済モデルを使い、この問題をどのようにすれば、この問題は解決できるかを示した。No.7を見ていただきたい。

http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-bd0c.html

結論を言えば、数十兆円の景気対策を5年程度続けることだ。環境エネルギーや様々な分野の研究開発、社会基盤整備等、日本の将来への投資になるような景気対策がよい。そうすれば、需要が拡大し、企業に利益が出るようになり、設備投資をすればもっと儲かると感じるようになる。そうなれば、国債ばかり買っていた金融機関も設備投資のために融資を行うようになるし、景気が回復してくれば税収も増え、やがて国債に頼る必要も無くなってくる。まず景気回復のための一押しを政府が行うことが重要なのであり、あとは民間主導で経済が伸びていく。

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2010年12月23日 (木)

ルーズベルトとヒットラーの景気対策の比較【1】(No.28)

 最近ルーズベルトとヒットラーの大恐慌後の景気対策の比較が話題になるようになった。それは武田知弘著の『ヒットラーとケインズ』と『ヒットラーの経済政策』の2冊の本に影響を受けているように思える。結論はルーズベルトのニューディール政策は中途半端で完全な景気回復を達成できなかったが、ヒットラーは完璧な景気対策でドイツ経済を完全に立ち直させたというものだ。

 ある意味でこの表現は正しいのだが、その論理に無条件に賛成できかねるところもある。武田氏の2冊の本が、ヒットラーを美化しすぎていることには違和感を覚えている。筆者はドイツ(当時は西ドイツ)に通算約7年住んでいたのだが、ユダヤ大虐殺を行い、世界を戦争に巻き込んだヒットラーに対する憎悪の念はドイツの内外で消えていない。このような本を書くときは、そういった気持ちへの配慮が必要だと思う。

 しかしながら、景気対策という点に限れば確かにヒットラーの方が優れていた面もある。ヒットラーもルーズベルトも政権の座についたのは1933年である。景気対策で最も重要なのはその規模だ。有名なニューディール政策は1933年に始まった。アメリカの財政規模をグラフで示す。増やしたり減らしたりして途中で再び景気を悪化させている。

図1

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 一方では、ヒットラーは次のグラフのようにどんどん財政支出を増やし続けた。

図2

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 両国のGNPの推移を、1929年を100として次の図で比べた。

図3

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 両国のGNPの回復は1937年までは、ほぼ一致しているがそれ以後は、ドイツが一直線に景気回復をしたのに比べ、アメリカは1938年に不況(ルーズベルト不況と呼ばれる)に逆戻りしている。これは、図1で分かるように1937年と1938年に「財政再建」のためとして財政規模を縮小したからであって、中途半端な時点で緊縮財政に転じたら、また逆戻りをしてしまうということを示している。実は、日本は20年間この繰り返しをやっている。緊縮に移るのが早すぎたということは、失業者数の推移を見ればもっとはっきりする。

図4

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 大恐慌の始まる前、1929年以前にはアメリカの失業率は1%~4%程度だった。ニューディール政策実行後も失業率はそれほど下がっておらず、不十分な景気対策であったことが分かる。それに比べドイツの景気対策は十分であり、1936年には、失業率は恐慌以前の水準以下になったにも拘わらず、更に景気対策を進めており1939年には2.2%にまで下がっている。このグラフからも、1936年からアメリカでは緊縮路線に転換したのは時期尚早であったことが分かる。

 残念ながら、アメリカのような民主主義国家では様々な人が勝手な発言をするために、大多数の人が間違えた判断をすることがある。1935年12月に行われたギャラップの調査によれば、「いま予算を均衡させ、公債償還を開始することを必要と考えるか」という質問に対し、賛成は70%、反対は30%だった。緊縮財政に転じた結果、1937年9月から1938年5月までの9ヶ月間に工業生産は33%も低下し税収も予想を下回った。このとき、日本で「失われた20年」の間に行われたと同様な議論がなされた。つまり財政再建を優先させるのか支出を増大させて景気を回復させるのかという議論である。日本では緊縮路線に戻るのだが、当時のアメリカでは積極財政派が勝ち、景気は回復している。もっとも、この財政支出増大は、第二次世界大戦の前夜であり、世界各国が軍事支出を増大させていた時であり、アメリカも例外ではなかったという事情がある。

 このように書くと、ヒットラーの経済政策は正しく、ルーズベルトの経済政策は正しくなかったと結論しているように思うかもしれないが、必ずしも結論はそれほど単純ではない。そのことを次に述べる。

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ルーズベルトとヒットラーの景気対策の比較【2】(No.27)

 No28においては、ヒットラーの強力な景気対策によって、ドイツ経済は完璧に立ち直ったが、ルーズベルトの景気対策は不十分であったことを述べた。

http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/index.html

それでは、ヒットラーの過激な景気対策によってドイツはインフレにならなかったのだろうかという疑問がわくが価格統制により安定していた。ドイツインフレ率を次に示す。

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 1933年から1939年までにGNPは1.86倍になったが、消費者物価は1.07倍にしか増えていない。次のグラフでこの頃の賃金はどうだったかを示す。

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時間当たりの名目賃金は更に安定していた。消費者物価がゆるやかな上昇を示していることを考えれば、実質賃金はゆるやかに下がっていた。しかし失業率が大幅に減少していったことを考えれば、労働者全体の賃金の合計は上昇していった。

 GNPを押し上げたのは消費ではなく、政府支出である。次に軍事費まで含む公共投資のGNP比を示す。明らかに大きな政府に移っていることが分かる。

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 ナチスの公共投資としてよく知られているのはアウトーバーンの建設である。1933年~1944年で4000kmのアウトーバーンを建設した。日本は1963年~2009年で6000kmの高速道路を建設しただけであることを考えれば、大変なスピードである。政府が軍事費だけにお金を使っただけなら、GNP増大で国民が受けた恩恵は失業率の低下によるものだけかと思うかも知れないが、アウトーバーンをはじめ、住宅建設、都市再開発など様々な政策で国民を豊かにした。1951年に西ドイツで行なわれた世論調査では、半数以上の人が1933年から1939年までがもっともいい時代だったと答えている。
 
 しかしながらヒットラーはやがて悲惨な最期を迎える。ゲルマン民族さえよければ他はどうなってもいという自己中心的な考えのナチスが最終的に敗北したことは世界にとっては幸運なことだった。ナチスはユダヤ人の富を収奪し、ユダヤ人を大量虐殺までおこなった「ならず者」政権だが、最初から無謀な経済発展だと言うこともできる。

 他国を敵に回してでも自国を発展させようという利己的な考え自身が無謀な試みだった。決定的なのは資源の不足だ。1934年鉄の国内での使用量は1670万トンで、そのうち自給できたのは600万トンにすぎない。軍拡に必要な鉄の確保に失敗した。また石油の不足も致命的だった。ヒットラーは石炭から人口石油を作ろうとした。しかし天然の石油の4~5倍の値段になった。石油の利権はアメリカと英国が握っていて、石油を売るときに様々な条件をつけたため十分な石油の確保は困難だった。経済発展と共に金の保有量も激減し、輸入が困難になってきた。

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 資源が不足してきたとき、他国を占領して強奪すればよいというのが、余りにも無謀で利己的な考えだったわけで、当然の事ながら長期的な国の発展を考えれば、他国と協力して発展するしか無かったのだ。ユダヤ等、他民族との共存も経済発展には必要不可欠だ。独裁政権は短期的にはうまくいくことがあるかもしれない。ナチス政権の前半がそうだと言えるかもしれないが、後半では破綻した。ドイツが民主主義国であったなら、ユダヤ虐殺も無かっただろうし、無謀な戦争も避けられたのではないだろうか。アメリカは民主主義で無駄な議論を繰り返し、景気対策は短期的には中途半端ではあったが、資源を持ち金を持っていて、戦争に勝利し、最終的には恐慌からは脱却することに成功し繁栄した。

 その意味で、ヒットラーの経済政策が成功で、ルーズベルトの経済政策が失敗だと単純に結論づけるべきではない。

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ヒットラーの経済政策と現在の日本経済(No.26)

ヒットラーは様々な困難を乗り越えて短期間に経済を復興させたのだが、これを日本経済の現状と比べてみよう。ドイツ経済復活に貢献したのは、ドイツ帝国銀行総裁、経済大臣のポストに就いたシャハトである。シャハトは第一次世界大戦後の有名なドイツのハイパーインフレを収束させた人物であった。

結局大量の国債(あるいは国債に準じるもの)を発行して大規模な景気対策を行うことになるのだが、当時のドイツは現在の日本に比べ遙かに厳しい経済環境にあった。第一に激しいハイパーインフレの収まった直後だっただけに、再びハイパーインフレがやってくるのではないかという恐怖が国民の中にはあった。更に、第一次世界大戦の莫大な賠償金が求められていた。つまり外国に対する巨大な借金があったのだ。1930年代ドイツの歳入は56億マルクでその約半分が賠償金に充てられた。ドイツの輸出製品には26%の輸出税をかけて連合国が受け取ることになっており大変なハンディーがあった。

しかも金(外貨)も底をついているから、物不足になっても輸入で簡単に補えない。つまり景気対策を行うと需給バランスが崩れてインフレになってしまう危険が大きかった。大規模景気対策で労働力不足になると、賃金上昇が引き金になりインフレに拍車を掛ける恐れもあった。しかも経済発展の基礎となる鉄と石油の不足も決定的だった。

それに比べれば、現在の日本は景気対策を行うには、はるかに恵まれた環境だ。なにしろ外貨は100兆円以上もあるし、慢性的な経常黒字が続いている。海外純資産も260兆円もある。需要が伸びて物不足になっても、輸入すればインフレになる恐れはない。デフレが十数年も続いているのだから、大きな生産余力があり、インフレ率上昇は喉から手が出るほど求めたいことだ。平均賃金も十数年間もの間下落が続いているのだから尚更だ。鉄鉱石や石油の輸入が当面不足する恐れもない。

現在の日本であれば、物余りのデフレの時代なのだから、単純に日銀が国債を大量に買い、資金を市中に流し、その資金で国が大規模な景気対策を行うだけで、デフレ脱却も景気回復も、財政再建も可能になる。何のテクニックも必要ない。しかし当時のドイツではそうはいかなかった。物不足になってもインフレが起きないように景気対策を行わなければならず、現在の日本にくらべ桁違いに難しい技を必要とした。例えば莫大な公共投資を行ったのだが、この資金が流れっぱなしだと、インフレになる。その資金の回収システムもあった。労働者の賃金のうち一定額を積み立てれば、利子が受け取れ、しかも利子には税金がかからないという労働者にとって有利な仕組みになっていて、積立金がどんどん膨れあがり、それが国庫に戻っていた。
当時行われた様々な工夫はここでは省略するが、詳細は武田知弘著『ヒトラーの経済政策』を読んでいただきたい。アウトーバーンを完成させ、国民車であるフォルクスワーゲンを開発し、またベルリンオリンピックで国威発揚を行った。

現在の日本では、労働者の賃金を回収して需要を抑える必要は全くない。公共投資を拡大し、賃金を支払い、消費を伸ばし需要拡大が実現できれば、有り余る供給力はそれに十分対応できるからである。もしシャハトが現在の日本にやってきて、経済運営を任せられたら、いとも簡単に失われた20年からの脱却をやってしまうだろう。1兆倍というハイパーインフレを見事に収束させた彼にとって、日本で景気対策が行き過ぎてハイパーインフレになってしまうのではないかという心配は皆無だろう。

ヒットラーとルーズベルトの経済政策から我々が学ぶべき事は、大不況に陥ったときは、失業率が完全に戻るまで徹底的に大規模な景気対策をやることと、暴走を回避するために民主主義は放棄してはならないということだ。次の2つのグラフを比べていただきたい。図1は世界大恐慌前後のドイツと米国のGNPである。ピーク時の1929年から30~40ポイントもGNPが減少し、その後V字カーブで経済は回復している。力不足のニューディール政策でも約4年間で元のレベルに回復している。年間成長率約10%の急回復である。

図1

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図2は最近の日本のGDPの推移を表している。リーマンショック後の金融危機でGDPは10%足らず減少しただけで、ショックとしては世界大恐慌に比べれば数分の一にすぎない。しかもその後の景気対策の規模が小さすぎるためにV字回復になっていない。政府は2011年度の名目成長率の目標を僅か1%と見込んでいるが、それすら実現はあやしいものだ。我々はNo.7において50兆円の景気対策を5年間続ければ、景気回復・デフレ脱却・財政健全化が同時に実現すると示した。
http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-bd0c.html

図2

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日本は、これだけ恵まれた経済環境にありながら経済成長が達成できないということは、如何に日本の政府・日銀が無能かということを示している。しっかり歴史を学んで欲しいものだ。

なお、1930年代のドイツが現在の中国と似ているというのがリチャード・クー氏の見解だ。確かに両方とも独裁国家で順調な経済発展を成し遂げた。しかし、ドイツは資源不足という難題に、侵略による奪略という強硬手段に訴え失敗した。現在の中国には資源不足の問題は無いし、戦争といった選択肢は存在しない。資源不足は将来的に発生するかもしれないが、戦争で解決することはあり得ない。核時代における戦争は勝者の無い戦争だ。

中国は人口が多いから大半が殺されても1億人が生き残ればまた復活できるという珍説がある。しかし、為政者はそんなことを考えるだろうか。自分が殺されても誰かがこの国を立て直してくれればよいという為政者はいない。他人の命より自分の命の方がずっと大切なのだから。自国も相手国も核で破壊されたとすると、自国も敵国も経済が崩壊する。それが自分にとってどのようなメリットがあるだろうか。現在の繁栄は、侵略によって更に改善することはできない。

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2010年12月15日 (水)

国の借金も、もともと日銀や銀行が刷ったお金・・・原資は無尽蔵(No.25)

国の借金が908兆円だと、国民は脅されている。国民一人あたりにすると750万円だと言う。しかし、それの何が問題なのだろう。借金の額が多いか少ないかを判断したいなら、借入限度額を問題にしなくては意味がない。この借金はどこから来るのか考えると良い。結論から言うと、もともとは日銀が刷ったお金であり、銀行等の金融機関でそれが更に増刷された結果、国は908兆円を調達できたということだ。無尽蔵に刷れるお金なのだから借入限度額は無限大だ。

お金を刷れる(つくれる)のは日銀だが、それは日銀が国債を買ったりお金を貸し付けたりすることによって行われる。2010年12月現在、その総額(日銀の資産)は129兆円である。どうやってこの資産を獲得したかと言えば、お金を発行して買ったということだ。だから、国の借金の908兆円には遠く及ばない。しかし、日銀で発行されたお金が銀行に行くと、それが国や民間への貸出に回される。借りたお金を現金で金庫に寝かしておく人(あるいは国)は少なく、大部分は銀行に預金としておいておき、そこから口座振り込みが行われる。つまり大部分のお金は銀行に留まり、そのお金は何重にも貸し出される。

今年、国は44兆円の新規国債を発行する。これを買った金融機関が現金で支払いをしたとすると、1万円札にして数百kmの高さにもなり、取り扱いが大変だからほとんどすべての支払いは銀行振り込みだ。つまり銀行から銀行にお金が移動するだけ。金融機関にとって見れば44兆円の国債を手に入れたのだから44兆円の資産が増えたことになる。国はその44兆円を、医療・福祉・防衛・教育・公共投資・公務員の給与等に使う。ほとんどすべて銀行振り込みで支払われるから、44兆円のお金は再び銀行に戻るだけだ。事実上これは銀行で刷ったお金ということになる。銀行にお金が足りなくなればいつでも日銀が補充することになっているから銀行からお金が消えることはない。

これを毎年繰り返すとやがて借りられなくなるかというと、それはあり得ない。銀行にも日銀にも貸出に上限が無い(つまりいくら刷っても良い)からだ。例えば我々が主張するように、通常の予算に追加して50兆円の景気対策を行ったとしよう。減税でもよいが福祉・医療・介護・環境エネルギー・公共投資・教育等、使うところはいくらでもある。この50兆円のお金は、様々な経路をたどり、大部分が国民の預金口座に収まる。50兆円の国債の消化が金融機関で間に合わなければ、日銀が市場から国債を50兆円だけ買って援護射撃をすればよいだけだ。50兆円の資金が国の口座に移り、それがまた金融機関の口座に戻るだけである。単に循環しているだけで、何回繰り返しても問題が起きるわけではない。しかし一人あたり40万円以上のお金が様々な経路で国民に渡るわけだからインパクトは大きい。

もちろん、国の借金がギリシャのように外国からの借入金の場合は、返却を求められて、それに応じられなくなれば破綻するが、日本の場合は外国に貸している立場なので状況は全く異なる。外国相手の場合、ドルを日銀が刷るわけにはいかないからだ。

家計金融資産が現在1400兆円であり、国が借金できるのはここまでだという意見がある。それは経済成長にストップを掛けたままにしていた場合だ。以下のサイトで我々は日経の経済モデルを使い、50兆円の景気対策を5年間続けると日本経済は一気に拡大することを確認した。
http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-bd0c.html

日経平均は3万円を越し、雇用者報酬は20%以上上昇する。

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このように経済が拡大に転じると、家計金融資産も当然増加し始める。次の図において分かるように過去においても経済が拡大しているときは、家計金融資産は急速に増加していた。なぜ増えるのかと言えば、日銀や銀行がお金を刷っているからだ。当然のことながら、刷る前はそんなにお金は無かった。大規模景気対策で経済が再び発展し始めると、日銀や銀行がお金を刷り始めるから急速に家計金融資産は増え始めるし、政府が借り入れに困ることは永遠に無い。

                       出所:日銀

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もう一つ、注意しておきたいのは、政府が十分な景気対策を怠り、デフレ経済にしたために、税収が異常に減ってしまっているという現状を理解すべきだということ。例えばEUでは法人税率を下げたら(青線)、名目GDPに対する法人税収の割合(茶色)が増えてきた。

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次の図のように、先程述べた日経の経済モデルによる試算でも同様な結果が出ている。税率を思い切って下げると、最初の3年間は税収が減るが4年目からは景気が回復し、税収は増え始めることが分かる。税収が増えた結果数年後には赤字国債を出さずに済む。

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以上、国の借金と言っても、もともと刷ったお金であり、いくらでも刷れるからいくら増やしても問題ないと結論される。「借金」という言葉は、印象が悪いので、英国で検討している改革案のように、どうせ刷ったお金なのだから政府に貸与するのでなく賞与でよい。返済義務のない資金を日銀から供給すれば、国民は国の借金に悩まされることは無くなり、国の経済は安定し、国民も安心して生活することができるのは明らかである。英国の改革案は次のサイトを参照して頂きたい。
http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-a945.html

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2010年12月13日 (月)

政府紙幣・政府貨幣も実は「国の借金」(No.24)

国債は国の借金で、将来返さなければならないが、政府紙幣なら借金ではないと思っている人がいるが実はそうでもない。例えば政府紙幣を刷って、そのお金で公務員の給料を払うとしよう。今どき、公務員の給料を現金で渡すのはどうかという問題があるが百歩譲って政府紙幣で払ったとしよう。政府紙幣は自動販売機には対応していないし、不便だから受け取ったら大部分の人は銀行に預金するだろう。その後で、必要なら銀行で日銀券を受け取ることができる。銀行に入った政府紙幣は銀行の金庫に眠ることはあり得ない。利子の付かない現金を長期に保管すると銀行の経営を圧迫するので、銀行はすぐに日銀に政府紙幣を持って行く。

つまりほとんどの政府紙幣は日銀に集まる。例えば10兆円分の政府紙幣を1万円札で作り積み上げると約100kmにもなる。それ故に、日銀に巨大な金庫が必要になる。この政府紙幣を次に公務員の給料に使おうと思えば、政府は日銀からこの紙幣を買い取らなければならないので、結局10兆円の発行益を全部使ってしまい政府の利益にはならない。紙幣の印刷代を損するだけだ。こう考えると、政府紙幣はいつか政府に戻ってきて、政府はそれを買い取らなければならないので、実質的に「国の借金」と考えるべきだ。

政府は政府紙幣を発行するだけで、買い取りはしないとしよう。そうすると流通しているうちに印刷された文字も読めなくなって、そのうち受け取りを拒否されるようになる。最後に受け取った人が損をする。そんな「返品補償」の無い紙幣は誰も受け取らないだろう。つまり紙幣として受け入れられない。ということで受け入れられる政府紙幣は国の借金である。それも長期国債よりずっと早く政府に帰ってくる。

ということは政府紙幣を印刷しても、ほとんど国の財源確保にはならないことが分かる。財源確保するのであれば、スティグリッツの主張するように法律を改正して例えば政府が例えば1兆円の政府紙幣を発行し、それを日銀が保管し、それと同時にその金額を国庫に振り込み、景気がよくなれば、政府がそれを買い戻すようにすればよい。これが我々の勧める政府紙幣発行の意味だ。これなら公務員の給料だけでなく、何にでも使える。実質的に日銀による国債引き受けと全く同じだ。利子が付かないところが違うと思うかも知れないが、日銀に引き受けられた国債の利子は国庫に返って来る仕組みになっているので利子も意味がない。国債は償還期限がある。しかし政府紙幣も、景気が良くなって政府の税収が増えれば、政府が日銀から買い戻すこともできるわけだから、実質的に国債の償還と同じだ。

これとよく似ているのが、ヴェルナー等英国のグループが提案しているような日銀が政府に「給付金」を振り込む方法だ。これは借金ではなく給付金であり、返さなくても良い。お金を刷るとインフレになると考えている心配症の人に配慮して、給付金の額を決める人は、財政・金融の専門家の作るグループにし、インフレ率が一定の範囲内に収まらなかったら直ちに解雇されるようにすればよいだけだ。詳しくは以下を参照。

http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-a945.html

日銀券は借金だが政府紙幣は借金ではないと説明されることがある。正確に言うと日銀券は日銀の借金だが、政府紙幣は政府の借金であり日銀の借金ではないということだ。政府も日銀も『国』と言うことにすると両方とも国の借金ということになる。政府貨幣を日銀を通じて流通させるときは、政府貨幣を一旦日銀で預かり、そのうちの市場に流通したもののうち95%だけの金額が政府に支払われる(国庫に入る)ことになっている。言ってみれば、日銀が政府貨幣を「販売」し、その販売代金の95%だけを政府に支払うということだ。しかし、これは売り切りではなく、古くなったら返品を受け付ける補償がついており、返品の際には販売価格で買い取る(あるいは新品と取り替える)ことになる。

ということで、政府は現在の法律の下では、政府貨幣、政府紙幣の発行(販売?)ではそれほど儲からないことが分かる。景気対策とするには、政府が売り出した「政府紙幣」を誰も買わなくても、定価で日銀が買い取らなければならないという法律改正が絶対条件だ。この法律改正の実現は大変難しいし、どうせ同じ事なら、日銀に市場から国債を買わせる方法で十分のように思える。

現行法では、政府貨幣は国債と違って利子は付かないと思うかもしれないが、古くなったら新品と取り替えるということは、取り替え作業の人件費や新品を作る費用等を考えれば利子を払っているのと同じだ。

我々のキャッチは「お金が無ければ刷りなさい」である。その真の意味は上述の通りだ。「国の借金が大変だから歳出を抑え増税をし、財政を健全化しなければならない」という間違った考えを正すには「お金を刷りなさい」という言葉は強烈だ。国の借金は必要ならいつでも日銀が市場から無制限に買い取ることができる。これは法律の改正をしなくても可能だ。だから心配せずに、国の経済を立て直す事に専念して欲しいとう気持ちから「お金が無ければお金を刷りなさい」と我々は主張している。この内容は「借金はいくらでも日銀に買ってもらいなさい」ということだ。

「国はお金を刷ればいくらでも財源を確保できる。だから心配しなくても良い。」と説明するとき、私は国債を日銀が買うことをイメージしているが、これを聞いた人は印刷機でお札を印刷することをイメージしているかもしれない。特定の個人が特別にお金を刷ることを許されたとしよう。そうすれば、莫大な財産を一夜にして手に入れることができるのは明らかだ。いくら借金があっても、それを返済し、あっという間に世界一の大富豪になれる。このように無限に富みを生み出しそうに思える通貨発行権だが、これは印刷されたお札のアフターサービスをしないという仮定の話であり、国はアフターサービス付きで考えなければならないから、全然話は違う。アフターサービスまで考えるときは、お札を印刷して発行するのは、借金をするのと同じだ。

以上の事情から、「お金を刷りなさい」と言っても、印刷機を回して刷れと言っているのではなく、正確にはお金を作りなさいという内容だ。政府紙幣発行でも国債発行でも「国の借金を増やす」という意味では全く同じだし、お金のまわりをよくして景気をよくし、デフレを脱却し、国民生活を豊かにするという意味だ。いくらでも借金は増やせるのだから、どんどん増やして経済を拡大すればよい。

菅政権が悶え苦しんでいる。「財源が無い」から、マニフェストに書いた約束をことごとく反故にしなくてはならぬ苦しみだ。しかし、この苦しみは日本国民全体に跳ね返る。予算削減、増税、年金減額、保険料値上げ、医療費値上げ・・・。生活苦で結婚も子育てもできず、どんどん子供が減る。結果として茨城県議会選挙も惨敗した。来春の地方議会選でも敗北するのではないか心配だろう。今からでも遅くはない。財源はある。お金はいくらでも作れるのだから、迷わず思い切って景気対策をやり、崩壊を始めた日本経済を復活させなさい。大規模な財政出動で、国民生活を救いなさい。それが政権浮揚の唯一の方法であり、それがなければ政権維持は不可能だ。

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2010年12月 9日 (木)

アメリカの通貨発行権獲得のための苦闘と現在の日本(No.23)

アメリカ独立宣言の後も、アメリカは国際銀行家(ロス・チャイルド家等)による金融支配から逃れるための苦闘を繰り広げていたことはすでに述べた。
http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/no22-c6e3.html

1863年に「国法銀行法」が制定された。一見すると国のための銀行、つまり日銀のようなものかと思ってしまうが、実は銀行家のための銀行である。アメリカ政府債を銀行券の発行の準備金にあてる国法銀行は資本金の3分の1に相当する国債を購入し、これを担保に財務省から担保国債の90%に相当する銀行券を受け取り、兌換請求に備えて一定の法貨(金貨、銀貨、およびグリーンバック)を準備しておき、銀行券の発行を行った。

政府貨幣を発行しているのだったら、それを全国統一貨幣にすればよいのではないかと思ってしまう。しかし、実際は国際銀行家達の協力を得なければ政府も動けないということだ。「ただ、私は国家の貨幣発行をコントロールしたいだけだ。誰が法律を作ろうとかまわない。」とロス・チャイルドが言ったことからもそれが伺える。

国立銀行と言えども、その設立のための資本金は国際銀行家が出している。巨額の資本金が無ければ、誰もその銀行を信用しない。その資本金で国債を買う。その国債を担保に通貨を発行する。こうすれば、永遠に国はこの銀行に国債に対する利子を払い続けなければならない。しかも通貨発行権も、どこに融資するのかも、国際銀行家の自由自在ということになるのだから、アメリカは独立宣言後も、最も重要な部分を国際銀行家に奪われていたことになる。

真のアメリカの独立は政府紙幣を発行して国民のための政治をすることだ。人民のための政治をしようと政府紙幣を発行したリンカーンも、同様な努力をしたその他の大統領も暗殺されたと前回引用した宗氏の本に書いてある。暗殺の事実はあったとしても、その目的を特定することは難しい。しかしはっきり分かっていることは独立後も通貨発行権の完全な確保ができず、国債に対する巨額の利払いに苦しめられていたことだ。

前回も述べたが、当時のアメリカと現在の日本は類似点が多い。平成23年度の予算を見ると良い。

支出
  一般歳出(地方交付税も含む)   70兆円
  国債費                     24兆円
  財投                        16兆円
  国債償還                   110兆円
収入
   税収                      40兆円
      その他の収入                 4兆円
   国債発行                 170兆円
    (新規 44兆円  借換債110兆円  財投債 16兆円)

税収が40兆円のときに、利払い等の国債費が24兆円、つまり我々の税金の実に6割が金融機関への助成金に使われている。それが国民を苦しめている。リンカーン時代のアメリカよりひどい。リンカーンが日本にいたらきっと言うだろう。税金は人民のために使えと。国債費はこれからどんどん増える。内閣府発表では2023年には税金のすべてを使っても国債費は払えなくなる。実際は内閣府の予想以上のペースで国債残高が増えている。40兆円の税収のときに、総額170兆円もの国債を発行している。破綻の可能性は無いにしても早く改革をして、税金は国民のために使うことができるようにすべきだ。

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 イギリスの改革案は、国債発行を減らす素晴らしい案である。
http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-a945.html

政府貨幣発行も別な改革案であり、多くの経済学者が提案している。例えばディラードは、ロングベストセラーの『J.M.ケインズの経済学 : 貨幣経済の理論』[1950]の中で、需要不足のときは、赤字国債を大量に発行するのでなく政府貨幣を発行せよと述べている。114~115頁(第21刷では139頁~140頁の無利子資金調達法)から引用する。

 ケインズは述べていないが彼の利子の性質に関する理論から見れば当然問題となる財政政策の側面は、遊んでいる資源を働かせる計画をもって行われる公共支出のための資金を無利子で調達する方法はないかという問題である。借り入れ支出によって公債が増加し、公債に対する年々の利子支払額がかさむ。・・・赤字財政に対する大きな反対が現れる根拠が借入元金や公債に対する諸経費がかさむという点にあるとすれば、社会として遊んでいる資源を動員するのに必要な貨幣を獲得するために、銀行その他に利子を支払わなければならぬ理由について疑問が生じる。経済の発展に必要な新貨幣を発行するのに市中銀行に莫大な利子を支払うという形で市中銀行に補助金を交付する必要がいったいあるだろうか。

新貨幣の発行は政府の機能に属するのが適当ではないか。もしそうだとすれば、政府が直接新貨幣を発行して市中銀行に公債利子を支払わなくてすますことを妨げるものは何かあるか。・・・市中銀行が受取る利子所得は少しばかりの事務的サービスを遂行する費用を支払うに必要な金額を除けば、独占料金であって銀行の純粋な犠牲や機能に対する報償ではない。政府公債には危険性は極めて少なく、無危険投資に最も近い存在であると考えられ経済的根拠は存在しないようである。

・・・無利子融資政策は必ずインフレーションを引き起こすという反対論に対しては雇用の一般論の立場から容易に答えることができる。諸資源が使われていないで遊んでいる場合には、貨幣支出の増加は物価を引き上げず、むしろ雇用を増加するであろう。完全雇用の点を越えれば、更に貨幣の膨張を行う必要性はなくなる。完全雇用が達せられた後までも貨幣膨張が継続するならば、インフレーションが生ずる。しかし、これは貨幣膨張それ自身の結果であり、その実施方法によってはそのような結果は現れない。例えば、利付公債であってもそれを市中銀行にあまり多く売りつけすぎるとインフレーションを引き起こすことはあり得る。実際貨幣供給の操作を誤ればインフレーションを引き起こしたり、デフレーションを引き起こしたりするであろう。上述の反対論は政府貨幣発行の反対をしているのでなく、管理通貨制度そのものに反対しているのである。

お分かりだろうか。日本は国の借金の膨大な利払いに苦しめられている。しかし、次の3つのうちのどれかを採用すれば、日本をこの苦しみから永遠に解放できるのだ。今こそ決断の時だ。それによる弊害は消費税増税の弊害の1000分の1しかない。

①英国の改革案を受け入れること

②日銀に国債を大量に買わせること

③政府貨幣を発行すること

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2010年12月 4日 (土)

アメリカ経済史に見る通貨発行の意義(No.22)

日本人は、経済を拡大するためには市場に出回る通貨の量を増やさなければならないのだということを忘れている。デフレの時、それができるのは国だけだ。その重要さを理解するためにアメリカにおける通貨発行の歴史を学ぶのは意義がある。

アメリカにおいて、紙幣が使われるようになる前は、動物の毛皮、貝塚、タバコ、米、小麦、トウモロコシなどを代替貨幣に使用していた。今でもドルの事をバックとよぶことあがあるが、これは先住民と開拓者の人々の間での物品交換の決済手段の単位として鹿の皮が使われていたため、雄鹿「BUCK」の皮が利用されたことからきている。

アメリカ独立の前は、「植民券」を独自で発行し流通させ発展しつつあった。しかし、イギリスは植民地アメリカへの課税と支配を強化し、1764年には英国議会が「通貨法」を決議し、アメリカ植民地の各州が独自の紙幣を発行することを禁止した。本来植民地から富を奪取することは難しい。ある意味で「採算」が合わず、いずれ植民地を放棄せざるを得なくなることがほとんどである。しかし、通貨発行権を奪うということは、極めて効率のよい富の奪取の方法となり、イギリスが狙ったのはこれだった。奪われてなるものかとアメリカも闘った。これが1775~1783年のアメリカ独立戦争だ。資金を持たないアメリカは政府紙幣を発行し戦費を捻出したが、それが乱発され政府紙幣の価値が暴落した。

1776年アメリカは独立宣言を行い、翌年アメリカ合衆国憲法が採択され初代の大統領にワシントンが就任した。宗鴻兵著『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ』によれば、当時の財務大臣のハミルトンは、ロスチャイルド家と浅からぬ因縁を持つ人物で、ロスチャイルド家からの援助を受けていたという。彼が第一アメリカ合衆国銀行を設立した。政府の貨幣財産と税収を中央銀行に預け、中央銀行は経済の発展の需要に応じて国家の通貨を発行し、アメリカ政府に融資を行い、同時に金利を徴収した。資本総額1000万ドル、5分の1は連邦政府の出資、他は一般からの公募そのうち700万ドルをイングランド銀行やロス・チャイルドが名を連ねた。

要するに現在の日銀とは大違いだ。日銀も資本金1億円の銀行でその半分を国が、残りの半分を民間が持っているが、株主には何の権限もなく、配当金も驚くほど少ない。資本金が十分だということで円の信認が得られているわけではない。それと違い、第一アメリカ合衆国銀行では、発行する通貨の信認を得るためには、十分な資本が必要だったわけで、そんなお金を出せるのは、世界一の金保有高を誇ったイギリスであったし、ロスチャイルドであったというわけだ。しかも銀行経営は完全に株主に牛耳られていた。結果として投機目的の外国資本の導入を促進することとなり、産業発展のためにはお金が流れなかった。やがて貸し付け需要が増大し外国銀行(主にイギリス)から資金を借りることとなった。

1801年ジェファーソンが大統領に就任したが、第一アメリカ合衆国銀行が特定の商業資本の利害に動かされていたことに反発していた。例えば通貨発行権を持つ日銀が露骨にアメリカ資本に有利になるように営業をしていたら、日本人は激怒するに違いない。同様にアメリカ人に嫌われていた第一アメリカ合衆国銀行は1811年に閉鎖された。

すると利権を失いたくないイギリスがアメリカへの干渉を強めたため1812年英米戦争が勃発した。やはり資金不足のアメリカは政府紙幣を発行したが、結局1815年アメリカ政府は降伏した。結局2つ目の中央銀行である第二アメリカ合衆国銀行が1916年に誕生することとなり、その資本の20%を政府が、残りの80%を個人が占めた。ここでも再びロスチャイルド家がしっかりと銀行の実権を握ることとなり、やはり銀行は株主の利益のための運営を行っていたので、再び国民の不満は高まった。

1832年にジャクソンが大統領に就任すると第二アメリカ合衆国銀行を閉鎖することを決めた。しかし、第二アメリカ合衆国銀行のビルド総裁はロスチャイルド家の後ろ盾があり、抵抗した。銀行更新のための法案は議会で可決した。大統領が拒否権を使うかもしれないとの憶測にビルド総裁は「ジャクソン大統領が法案を否決したら、今度は私がジャクソンを否決する」と言ったが、結局大統領は拒否権を使い、1836年第二アメリカ合衆国銀行は閉鎖された。

しかし、その報復として国際銀行家による締め付けがあり、1837年にアメリカ経済は恐慌に見舞われる。1836年のジャクソンにより政府の土地の売却の場合支払いは金貨・銀貨で行えという正貨通告が出されており、それも恐慌の原因になったと言われている。銀行券の流通は1837年の1億4900万ドルから1843年の5800万ドルに激減した。

通貨の供給は常に不安定で、多数の地方銀行が異なった通貨を発行し、また外国の通貨も出回っており、その交換比率もバラバラで経済は安定していなかった。そのため銀行の一部業務が一斉に停止するなどの恐慌がしばしば発生している。例えば1819年、1837年~1839年、1857年、1873年、1883年、1893年などである。これはアメリカ全土で信認を受けた統一通貨が存在しなかったことが一因である。しかし、量が不足していたものの金貨・銀貨は最も信認を受けるのが容易だった。金属自体が価値を持っていたからである。

1848年サンフランシスコで巨大な金鉱が発見された。良質な貨幣が大量に発行され、市場が活況を取り戻し、銀行が大規模な貸し付けを開始。鉄道建設が急速に進んだ。

1861年~1865年の南北戦争では、リンカーン大統領がグリーンバックと呼ばれる政府紙幣を発行した。これに怒った国際銀行家がリンカーンを暗殺したという説がある。また南北戦争前後百年の間に、国際金融カルテルとアメリカ政府の間で通貨発行権をめぐる争いが生じ、その間に7人もの大統領が暗殺されたと前述の宗鴻兵氏の本に書いてある。1963年6月7日にケネディ大統領の大統領令11110 (Executive Order 11110) によって政府紙幣が復活するが、それを止めようとして、その約半年後の11月22日にケネディ大統領は暗殺されたという説もある。

どこまでが真実かは、調べることは不可能であるが、通貨発行は、大変な富をもたらすということだけは間違いない。イギリスにとっては、通貨発行権を奪い取ることは利益確保の最後の砦だったのかもしれない。日本経済は20年もの間、停滞を続けている。その理由は通貨発行権が正当な理由もなく封印されていることに尽きる。通貨発行権を行使すれば国の借金908兆円も全く問題にならないことは明らかだ。現代は巨大な金鉱を発見しなくても、政府の預金口座である国庫の残高の数字を書き替えるだけで、デフレ脱却は可能となり国の経済は一気に活性化する。

1764年には英国議会が「通貨法」を決議しアメリカから通貨発行権を奪い取ったが、アメリカは戦争でそれを奪還した。通貨発行権は戦争に訴えてでも確保しなければならぬ大切な権利だ。今の日本では、馬鹿な一部のエコノミストやマスコミ達によって通貨発行権が奪い取られた形となっており、国の急速な没落に繋がっている。
http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-cf59.html
我々の次の世代のためにも、これ以上の日本の没落を止めるために「通貨発行権を行使せよ」と、我々は立ち上がらなければならない。

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