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2011年5月

2011年5月28日 (土)

ネットTV 『チャンネルAJER』が6月1日から放映開始!!(No.75)

信じられないかもしれませんが、ネットTV 『チャンネルAJER』が6月1日から放映開始します。AJERとは日本経済復活の会の英語略で、まさに日本経済復活の会が運営する番組です。ネット上にテレビ局を開設し、経済専門の情報を放送致します。You Tube、ニコニコ動画、USTなどの動画配信サービスを活用し、毎日30分の経済情報を放映致します。尚、出演者には様々な分野で活躍する論客を多数予定致します。

○目的
デフレからの脱却と更なる日本経済の発展を目指す。
東日本大震災からの復興財源確保の道筋を示し、国の政策に反映させるべく努める。

○理念
我々は日本経済の成長発展を願い、国に対しマクロ計量経済学の視点から、財政金融政策への提言を積極的に行う。
①我々は日本の国体を守るとの視点で提言する。
②公の機関や企業組織に対し、独立不羈の立場で提言する。
③日本の発展を毀損すると思われる発言に対し、積極的に議論を挑み、我々の旗幟を鮮明に示す。
④『日本のもの造り』を支援し、雇用の拡大と安定に努める。

○その具体的な方法
スマートフォン等のITインフラの発展に伴い成長変化するSNS (Social Network Service)を活用し、既存のレガシーメディアに対抗した情報発信を行う。
尚、動画配信のみならずtwitter、facebook、ブログ等を併用し、是からのメディアの魁として、新しい時代を開拓実証する。

キーワードは Real time  Truth  Anywhere  Open

○プログラム

月曜日 小野盛司
火曜日 三橋貴明  交替あり
水曜日 ゲスト
木曜日 ゲスト
金曜日 宍戸駿太郞
土曜日 ライブラリーを使う

本当にできるのと思う人がいるかもしれませんが、頑張るしかありません。現在のマスコミの偏向ぶりには我慢できません。「震災復興財源には増税もやむなし」などと、全く間違えた、というより日本経済を崩壊に導くような、とんでもない危険思想で国民を洗脳したマスコミに、我々は徹底的に戦いを挑みたいと思っております。

なお、余談ですが、5月16日から22日までギリシャに行ってきました。国民性は日本とは正反対だと感じました。外国からどんどん借金して、少しでも良い生活水準を保ちたい。借金がたまってきたら踏み倒すということを繰り返しているのですね。1830年から、ほぼ2年に一回デフォルトをやっているのだそうです。こんな国と日本は同じではないと強調したい。

すごい国です。アテネの街を歩いていたら、1時間も経たないうちにポケットに手を入れられ財布を盗まれそうになりました。スリです。こんなこと私の64年間の人生の中で一度もありませんでした。しかし、観光ガイド等には、スリにご用心と書いてありましたから、日常茶飯事なのですね。日本ではスリは少ないです。

道案内が非常に不親切で、遺跡にたどり着くのに、大変苦労しました。やっと遺跡の入り口が見つかったのが午後4:30頃だったと思います。しかし、すでに閉まってました。7:30まで開いているはずだったのに、わざわざ日本から来たのに入れてくれない!!窓口にいた人に聞くと3:00で閉めたと言う。明日また来なさいと言う。

後で知ったのですが、本来7:30まで(日没は8:00です)開いているはずなのに、職員が賃上げ要求のストライキで勝手に閉めたと言う。2:30には客を追い出し、3:00前には職員は帰ってました。連中は真面目に働く気は無い。働くよりストをやったほうが、収入増になるということでしょう。

タクシーもひどいですね。日本人と見たら、通常料金の何倍も取ろうとする。ほぼ確実に騙そうとするので、観光ガイドにはタクシーには乗るなと書いてある。

日本はギリシャのようになるという人がいますが、なるわけない。日本には「おもてなし」の精神があります。外国からのお客さんをこんなひどい目に遭わしませんよ。日本人は真面目に働きます。問題なのは、お金が足りなくなったら、日銀からいくらでも引き出せるということを理解していないことだけです。それを教えるのが我々の役目です。

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2011年5月23日 (月)

ハイパー・インフレ の話 【2】 (No.75)

    松浦 昇 氏の原稿第2弾です。

2. アルゼンチンのハイパー・インフレ 

私は読んで居ませんが「日本人がアルゼンチン・タンゴを踊る日」と題する本を書店で見かけたことがあります。有名になって居るだけあって、此の国はIMFの統計が入手できる1950年以降に限っても、猛烈なインフレを何度も繰り返して居ます。下の表の(GDP)デフレ-タ は名目GDP/実質GDPの比で、全体的な物価指数と考えて下さい。

アルゼンチンのGDP DEFLATOR の推移

     deflator   上昇倍率

1950   8.66/1兆

1970   5.33/1億   × 6,155

1985    2.92/千   × 547.8

1990     36.7    × 12,568

1995     103.1   × 2.8

2000     100.0

2007     215.8   × 2.15

1950年以降、3回の激しいインフレを経て2000迄に物価が約0.9兆倍になり、更に2007迄の7年間に 2.15倍になって、1950年の約2兆倍になりました。  この「激しいインフレを、何度も繰り返す体質」は、此の国の2つの特徴に起因すると言うのが私の見立てです。その一つは「消費財を供給する軽工業など産業の未発達」、2つめは「選挙で出来るポプリスト的政権と、クーデタで出現する軍事政権の交代を繰り返す政治的不安定」であり、是はこの国の成立した歴史と社会構造に根ざしたものです。

 この国への白人の侵入は16世紀に銀を求めて始まり、国名の Argentina も  La Plata 川の名前も、いずれも「銀」を意味します。当時スペイン領アメリカ全体を統治して居たのがペルーのリマに置かれた副王庁だったためもあり、アンデスに近い奥地が先に開け、その中心だったコルドバには17世紀初頭には大学ができて南米全体の文化の中心になり、北西部のツクマンと共に産業の中心となりした。

ところが18世紀初頭にポルトガルやイギリスの侵入に備えて、大西洋岸のブエノスアイレスにも副王府が置かれて港が開かれると、密貿易(正規の貿易は、全てペルーのリマを通じることになって居た)を中心に大いに繁栄したが、是が内陸部諸州の産業に打撃を与えました。さら19世紀の初頭からは、ブエノスアイレスの周辺から始まるパンパ(大草原)が、大規模農業・牧畜の中心として開けて経済力を蓄え、やがて「堂々と自由な貿易をしたい」と言う動機から、スペインからの独立を求めるようになりました。

このような歴史と産業的利害の対立に独立運動がからみ、王党派が支配する内陸部の諸州と、貿易で富を蓄えたブエノスアイレス州とは、政治的主導権を巡って武力衝突を含む対立・抗争を繰り返しました。この抗争はブラジルとイギリスの支援を受けた東方3州がウルガイとして独立し、首都をブエノスアイレス州と切り離したブエノスアイレス市に置くことで内陸諸州との妥協が成立し、アルゼンチン共和国が誕生しました。主導権を握ったブエノスアイレスでは「無関税の自由貿易」を主張し、西欧化を追求して居た自由主義者が主導権を持った為、ヨーロッパからの移民が殺到して国としては大いに繁栄したが、内陸部諸州の在来の古い産業は壊滅しました。

この頃までに、初期の白人入植者が放置した数百頭の牛馬がパンパ一帯に大繁殖し、これを先住民やガウチョ(インカの先住民とスペイン人の混血でパンパに広がり、原始的な牧畜を営んで居た)が捕まえて利用する原始的牧畜を営んで居ました。独立戦争が終息すると、此の軍事力をパンパの遠征に向け、先住民やガウチョを追い払って、広大なパンパを征服戦争の従軍者や支配階級に分配し、これが「大規模農業と牧畜」と言うこの国の経済の基盤となり、「大農場所有者である支配階級と大量のヨーロッパ系移民の子孫達」と言う、社会構造の骨格が出来上がりました。この中でアルゼンチンの社会構造の特徴と言えるのは、社会の下層から中流への移行は容易だが、支配階級は固定して居て、大農場主階級は、人脈的にも軍との親近性が強いと言う点です。

この様な経済構造をバックとして、第一次大戦中の食料輸出の急増もあり、1929年には「世界で5番目に富裕な国」となりました。しかし丁度発生した世界恐慌と、アメリカ中西部で発展した機械化大規模農業との競争で経済が急速に悪化して社会が不安定化し、軍事クーデタが発生して、その後も政治的混乱が続きました。この中から発生した国民主義的な流れに乗って1946年にペロン政権が生まれ、第2次隊戦中に中立を維持して得た外貨の蓄積をバックに重工業化や鉄道国有化と労働者保護などのポプリスト的政策を進めたが、重工業化が実を結ぶ前に外貨を使い果たし、一部から聖母のように崇められて居てエバ夫人の死もあって急速に支持をうしない、1955年に軍部保守派のクーデタで亡命しました。その後もペロンは国民的人気に乗って2度大統領に就任するが経済を立て直すのには失敗して、その都度クーデタによる軍事政権が生まれたが、彼等の経済政策も旨く行かず、選挙では、また急進党大統領が生まれる過程を繰り返して、結局1983年までに軍部のクーデタが5回も発生して、その都度経済政策が変転し、混乱を繰り返して経済力と国際的評価の低下が続きました。

軍事政権によるフォークランド奪還が失敗した後、1983年に急進党のメネム大統領が出て、敵対関係が続いて居たチリやブラジルとの関係を修復するのと平行して、軍政時代の人権侵害を裁き、軍事費と兵員の大幅削減や徴兵制の撤廃で軍部の政治力の源泉を削ぎ、多年の政治的不安定の原因を除きました。しかし当初の公約を破棄しての新自由主義的政策でインフレ抑制には成功したが経済の立て直しには失敗し、2001年にはドル・ペッグ制の破綻を切っ掛けにデフォールトに追い込まれました。国際的信用は失墜し、大統領が次々入れ替わる異常事態がつづきました。

その後2003年に、正義党(ペロニスト)左派から出たキルチネル大統領の下で政治的安定を取り戻して経済の再建も進み、2007年に選出されたクリスチーナ・キルチネル夫人の下で成長率は8%を記録しました。

日本とは全く異なる歴史・文化的背景や社会構造と産業構造、先進的産業国家としての発展段階や広義の資本蓄積の厚さで大きく立ち遅れて居るアルゼンチンで起きたハイパー・インフレの事例を日本に投影するのは、無知を丸出しの愚論としか言えません。

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2011年5月12日 (木)

不確実な情報に振り回され間違い続ける政府(No.74)

予算関連法案が成立の見込みが立たないために、絶体絶命に思えた菅内閣だが、大震災で暫く延命することとなった。しかし、国会内には与野党の中で不満のマグマが貯まり続けている。その中で政府の迷走が続く。

呆れたのは、浜松原発を突然止めると言い出したことだ。浜松原発は危ないと以前から言われていたから、これを止めれば菅内閣の評価が上がって、支持率がアップすると思ったのだろうか。しかし、今まで原発は安全と言ってきたのに、突然何の議論もなく、危険だから止めろと言い出した。ここは震度6強の地震が30年以内に起きる確率が87%だから止めるのだそうだが、それ以外は確率が低いから止めない。

本当にそういった予測は信頼できるものなのか。東海地震は、1970年頃に、茂木清夫氏や力武常次氏などによってその可能性が指摘され、その震源域は漠然と遠州灘方面とされていたが、1976年(昭和51年)、石橋克彦氏によって発表された「駿河湾地震説」によって東海地震がどのような地震か具体的に示された。しかし、その後30年~40年が経過するが、その間、阪神大震災(1995年)、新潟中越沖地震(2007年)、東日本大震災(2011年)などに襲われたが東海地震は発生しなかった。地震予知という点では、的中率ゼロだ。

エネルギーが溜まって、東海地震の発生確率がますます上がっているという考え方もあるが、一方で現在のところ、地震予知は全く信頼できないという解釈することもできる。発生確率が87%の東海地震が発生せず、発生確率が0.0%の福島第一原発あたりで発生したということは、そもそも理論が正しくないということを意味しているとも言える。発生確率0.0%の所で発生したということは、他の原発すべての地点で、同程度に危険とも言える。13ヶ月ごとにすべての原発は定期点検に入る。点検が終わった後に再稼働をさせようとするとき、菅総理はその原発が安全と主張できるのか。確かに、発生確率が87%の浜松より発生確率は低いかもしれないが、発生確率が0.0%の福島第一より高い。それでは安全と言えないと主張されたら、首相はどう答えるのだろう。87%の発生確率をはじき出した政府の地震調査委員会は浜松が、その87%であるのかどうか疑いを持っており、予測の手法を変えるそうで、87%は嘘でしたと結論される可能性がある。そのときは、菅首相にはきっちり責任を取っていただきたい。

天気予報が信頼されるのは、過去の実績で当たる確率が高いことが実証されているからだ。全くその実績がない地震予知に関しては、全く当たらないと思った方が安全だし、余程科学的だ。

ロバート・ゲラー東京大教授(地震学)は、4月14日の英科学誌ネイチャー電子版に掲載された論文で、「日本政府は不毛な地震予知を即刻やめるべき。今こそ(政府は)地震を予知できないことを国民に率直に伝えるとき」と述べている。菅総理が閣議決定もせず、独断で、しかも思いつきで決定したことだが、その結果全日本が電気不足に陥り日本経済そして国民生活に重大な影響を与える可能性を秘めている。

このように日本経済を破壊することに熱心な政府は、原発事故の対応も全くお粗末だ。事故処理の遅れのお陰で日本の信用がどんどん落ちているのにも拘わらず、本格的な対策を行おうとしない。福島原発一号機の圧力容器が水漏れを起こしていて、格納容器を修復しなければならないことが判明した。事故が起きて2ヶ月も経ってやっと分かったとのこと。放射能に汚染された水が9万トンもあり、これをどうするのか途方に暮れている。これから集中豪雨に襲われたら、これが海に流れ出す。どうしてこんなに対策が遅いのかと言えば、対応している人数が少なすぎるからだ。国家の非常事態だという認識が政府に無い。

東京電力はお金が無いからリストラを行う。そうなれば、人がいなくなるから事故対応が満足にできるわけがない。安く人を働かせようと、日雇い労働者が多く集まる大阪市西成区のあいりん地区で人を騙して雇い、半強制的に福島原発で働かせていたことが判明した。国家の危機対応はこれでよいのか。この政府なら、戦争が始まっても、お金が無いと言う理由で対応できませんと言いかねない。

政府に国を守らなければならないという責任感があるなら、政府の責任で堂々と福島原発処理として全国から大量の労働者を十分な給料で雇うべきだ。原発の近くにも放射能レベルの低い場所はあり、緊急の宿泊施設を確保することは可能なはずだ。たくさんの労働者を次々と交替で現場対応させるなら、1人当たりの被曝も少なくて済む。このためなら、どんなにお金を使っても誰も文句を言わないはずだ。

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2011年5月11日 (水)

ハイパー・インフレ の話【1】(No.73)

         松浦 昇 氏の原稿です。

 「復興国債を財源として、被災地の支援と復興を急げ」と言うような話を持ち出すと、決まって反対する人々が現れ、彼等が口を揃えて言うのが「財政規律が失われ、ハイパー・インフレに見舞われる」と言う呪文です。私は「是はあり得ないウソだ」と確信して居ますが、この確信を皆様と共有できる様にするためには、先ず、今まで現れた本物のハイパー・インフレの実態を知って頂く必要があると思い至りました。此処で取り上げるハイパー・インフレの実例は次の3つですが、それぞれが極めて個性的です。

(1)第一次大戦後のドイツ  (2)アルゼンチン  (3)ブラジル

1.第一次大戦後のドイツの例

 

 この例は時期的に2つに別れ、前半は 1919 年にベルサイユ条約を受け入れてから後の2年半で、此の間に物価が33倍(戦前の82倍)になりました。この原因は単純で、過大な賠償金の支払いです。条約で決まった賠償金は総額でGDPの20年分(1320億金マルク)を、毎年25億金マルク(GDPの約38%相当)づつ払えと言うものでした。金(または相当の外貨)なぞ有る筈無いから、実際には現物(ドイツの得意な石炭や鉄道車両やレールなどの鉄鋼製品)で支払いました。原料も製造設備もあったから物理的には支払い可能ですが、此らは私企業の製品ですから、政府はこれを買い上げてフランスに渡す必要があります。この財源は誰が見ても赤字国債しかありません。2年半で33倍は相当のインフレですが、後半に比べるとハイパー・インフレと言う程のことではありません。

 後半のハイパー・インフレは時期的にまた2つに分かれます。その前半は 1922年6月から12月までの半年で、物価は24倍になりました。この経緯は奇想天外で「中央銀行の理事会が右翼政治家の一派に乗っ取られ、私企業の手形の無制限な割り引きを初めて、其の総額が前年実績の500倍になった」と言うのです。時のドイツ政府は社民党と右派の国民政党の連立内閣で、当初は社民党のラテナウ外相が主導権を持って居ました。彼は中々の実力者で、密かにレーニンのソ連と話し合い、ベルサイユ条約では未確定だった東方の国境問題(東プロシャや鉱物資源が豊富な上シレジアの帰属)を、ドイツに有利な形で決着すると共に、秘密の軍事協定を結んで、ドイツ軍将校がソ連軍の訓練を引き受けると同時に、ベルサイユ条約で禁じられた新型戦車などの開発とテストをソ連領内で行う等の取り決めをしました。(この様な人を「実力者」と言うのでしょうが、今の日本には現れそうに思えません。)

 ところが此のラテナウが6月に暗殺され、その後内閣の実権を握ったのが、ラインランドの重工業資本をバックにした右翼政治家シュティンネスです。(シュティンネス自身も、父親から引き継いだ中堅炭鉱を、「垂直統合」と言うコンセプトを元に、ライン川の川船からアムステルダムをベースにする外航船の船団を持ち、これでバルチック海や、地中海から黒海沿岸まで石炭を売りさばき、帰りにはロシアの小麦や木材を買って来ると言う一大コンツエルンを築いた、ルールでも屈指の敏腕資本家でした。戦争中はルーデンドルフに見込まれ、占領地のベルギーで軍需品の生産を手がけて実績を上げたとされます。)ライヒスバンクが割り引いた手形の大部分は、当然ラインランドの重工業が振り出したものです。これで新鋭設備をジャンジャン買って、何ヶ月か後には何分の一かに減価したマルクで決済する。究極のモラルハザードです。この話の出所は 1975 年に東独で発行された「ドイツ経済史(18711945)」(H.モテック他、大島隆雄他訳)です。

この6ヶ月で物価は18倍、戦前の1475倍に成ります。

ハイパー・インフレの後半は翌 1923 年初頭からのフランス・ベルギー連合軍のルール進駐で始まりました。シュティンネスはかねてから賠償支払い拒否を主張して居ましたから、これを実力で徴収しようとした訳です。ドイツ政府は是に対して「ラインランドの炭鉱・工場・鉄道その他の一斉操業停止」を命じ、休業中の給与は政府が保証すると宣言しました。この1年で物価は7億倍になり、戦前の1919 年から通算すると1兆倍に達しました。

この年の暮れに、土地や工場などの現物資産をベースにレンテンバンクが設立され、レンテンマルクが発行されました。これが1:1兆ライヒスマルクで交換されて、さしものハイパー・インフレも収束しました。レンテンマルクが受け入れられたのは、是が金兌換でドル・ペッグ、発券額と国債引き受けに上限を設けたからです。この過程を仕切ったシャハトは「財政の天才」と謳われ、後にナチスの経済顧問を務めました。

私見ですが、レンテンマルクの成功のカギは、裏でのアメリカの了解があったからです。賠償支払いの一部繰り延べや、支払いの為のドル融資を含むドーズ案の実施がその僅か半年後だし、そもそも誰が見ても無茶なヴェルサイユ条約の賠償案を、フランスが一歩も譲らなかったのは、俗に「普仏戦争の屈辱の報復にこだわったクレマンソー首相の老いの一徹」とされますが、実はフランス政府がこれ相当の金額を戦費としてアメリカから借りて居て、終戦と共にその返済の開始を迫られて居たからでもあります。だからこの借款のリスケにアメリカがある程度応じた為に、話が進んだと言う側面を無視できません。

此のドイツの例は、産業国家として成熟した国で起こったハイパー・インフレの実例として、一見、我々には身近な話ですが、調べて見ると「特殊な環境下で発生し、これに奇想天外なハプニングが重なって生じた希有な例」である事が判ります。「赤字国債大量発行による財政規律の弛緩の結果」などと言う、面白くも可笑しくもない話とは、全く次元が違う物語りです。

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2011年5月 6日 (金)

原発を止める前にやるべき事がある(No.72)

菅首相が浜松原発を止めると宣言した。危ないと言われていた浜岡原発を止めることには、それなりの理由があるだろうが、しかしその代わりにどうやって電力を起こすのかを明言していない。彼は、「日本を貧乏にすればよい。そうすれば電力消費も減って原発もいらない」と言いたいのだろうか。

そういった考えには全く賛成できない。風力・太陽光・太陽熱・地熱発電は金を掛ければ無尽蔵の資源の有効活用で可能だ。石炭・石油・天然ガス等の火力発電でも、CO2を回収し、地中や深海に埋めることをすれば、温暖化対策だって可能だ。金さえ出すつもりなら何だってできる。菅首相は金さえ節約できるなら、日本をどんなに貧乏にしてもよいという考えだろう。

枝野官房長官は、東電が徹底的に経費削減した後に、電気料金値上げを認めるのだと言った。信じられない。こんな時に徹底的に経費削減したら、とてもじゃないが原発の事故処理などできやしない。経費節約で原発事故処理を手抜きで長引かせ、さんざん国民に迷惑をかけ、しかも日本は原発事故の後処理もろくに出来ぬ国という印象を海外に与え、その後で電気料金の値上げですか。止めて欲しいですね。

1号機に人が入り6台の「排風機」の設置が終わり、空気の浄化を始めるという。安定冷却のための第一歩だという。なぜ1~4号機を同時にやらないか。人手を10倍にして、並行して作業を行えばよいではないか。一刻も早く事故処理を進めなければならないのに、本当に遅い。経費節約をしている時ではないだろう。近隣住民だけでなく、日本中が迷惑していることを考えれば、いくら経費をかけてもよいはずだ。お金は刷れば手に入る。

飯舘村など計画的避難地域に指定された地域だが年間20ミリシーベルト以下の放射線レベルであれば住めることになるのだという。そうであれば、表面の土を10センチ程度除去して、それを穴を掘って埋める。その上に50cmの土をかぶせる。そうすれば、ほとんどの所は、年間20ミリシーベルトの放射線量(2.3マイクロシーベルト/時)、つまりよりずっと少ない放射線レベルに下がる。経費は東電か国に請求すればよいし、簡単にできる作業だ。万一放射能汚染された土が何らかの理由で出てきたをしても、健康には害はない。水銀のように流れ出て、濃縮され、それが害になるようなことはない。村ごと引っ越しするより、そういった作業をするほうがずっとよい。そこまで下げれば、国も避難しろと言えないはずだ。

茂木弘道 という人が飯舘村程度の低レベル放射線を浴びることは健康によいのだと主張している。少し引用すると
―――――――――――――――――――――――
先週、稲博士の低放射線論をご案内しました。
http://www.youtube.com/watch?v=PQcgw9CDYO8

 その後、友人からアメリカ ミズーリ大学のラッキー博士も同じ
趣旨の、低放射線が体に良いという論文を書いていると教えられました。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2592990/
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2592990/pdf/drp-06-0369.pdf

 何とタイトルは「Atomic Bomb Health Benifits」すなわち「原爆の健康効果」となっています。これは奇をてらった表現ではありません。なぜかというとこの論文は、広島、長崎の被爆者の追跡調査のデータをもとに書かれたさまざまな論文をもとに、あるレベル(閾値)内の放射線を浴びた人々は、健康障害ではなく、遺伝子異常、ガン、寿命などにおいて、通常の人々よりも、よい数値、すなわちより健康であるという事を実証しているからです。

 低放射線は免疫機能を刺激することによって健康に良い効果をもたらす、という稲博士の論と基本的に同じことをいっているわけです。
―――――――――――――――――――――――――――――――
上記の論文には、低放射線が健康によいということを裏付けるデータがたくさん引用してある。これだけのデータがあるのに、なぜまだ学者間で論争があるのかは分からない。それらのデータでも十分ではないという反論を調べていないので、ここではどちらの言い分が正しいのかということは結論を出さないでおくことにするが、上記のデータは無視すべきではないことは確かだ。上記データが信頼できるものなら、飯舘村の放射能に汚染された土壌は除去せず、逆にリゾート施設を造って、全国から保養に来てもらうとよいことになる。ラドン温泉よりましかもしれない。

ただし、逆の場合も考えておこう。あのデータがすべて原発推進派達がねつ造したものであったらどうする。その可能性も排除できない以上、我々は論争している学者の意見を中立の立場で吟味していくしかない。

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2011年5月 4日 (水)

日銀の国債引受を支持する国会議員が急増中(No.71)

多くの国会議員と話していると、日銀の国債引受に対する抵抗感が少なくなっていることが感じられる。また、その実現のために次々と会合が開かれている。今はステルス作戦で静かに活動が進んでいるように思える。しかし、第二次補正の財源が決まる前に大きな動きがあるのではないか。少なくともその前に行動を起こさねば意味がない。表だった動きは4月27日のデフレ脱却議連の会合だ。金子洋一氏のホームページから引用すると
http://blog.guts-kaneko.com/2011/04/post_563.php
ここで日銀の国債引受を求めるアピールが行われた。民主党から小沢鋭仁前環境大臣(デフレ脱却議連特別顧問)、石田勝之衆議院財金委員会委員長(デフレ脱却議連顧問)、松原仁デフレ脱却議連会長、宮崎岳志デフレ脱却議連衆議院事務局長と金子洋一。自民党からは中川秀直元幹事長、山本幸三元経済産業副大臣、公明党からは遠山清彦氏、みんなの党代表の渡辺喜美氏、国民新党政調会長亀井亜紀子氏、オブザーバー参加の社民党阿部知子氏。
阿部知子氏はオブザーバー参加なので、このアピールに参加したのかしなかったのかが不明だが、それ以外の国会議員は日銀の国債引受に賛成だろう。

4月28日の新聞各紙には、4月27日夕方に民主党のグループ横断の若手議員45人は「増税なき復興」を求める緊急会合を開催したとある。増税なく復興財源を確保するとなると国債発行しかないだろう。

日本経済復活の会も議員達の動きに最大限協力しようとしている。自民党以上に民主党議員に危機感が感じられる。今、総選挙になれば民主党大敗は確実だからだ。何とかしなくてはという焦りが感じられる。菅さんでは、震災対応ができないから、早く首相を交代させなくてはならないと思っている民主党議員は多い。とは言っても次は誰と口にする人はいない。早く参議院で首相の問責決議案を可決し、その勢いで衆議院の不信任案を出す。それが引き金になって政界再編というのが、1つの可能性か。

震災が無かったら、この春にも解散総選挙があっただろうが、震災で投票ができなくなったから、総選挙は秋以降だ。と言っても野党は無制限に延期を認めるわけでもない。被災地の地方選は9月22日までしか延期を認めないことになった。ということは9月22日になれば投票が出来る状態にするということで、それ以後は、解散総選挙はいつでもあり得るということ。

もちろん、第二次補正の財源が決まるのは、それよりずっと前だ。菅内閣の震災対応を巡って、政府方針に反対する勢力は非常にエキサイトしている。こんなに激怒している議員を見たこと無い。ここで政府が増税案を持ち出すなら、菅内閣はもたないのではないかと思うし、そうあって欲しいと期待する。

東電は賠償金を集めるために電気料金を値上げするという。5月3日の朝日新聞は政府内の試算だとして、原発賠償は4兆円で、東電分はそのうち2兆円とし、電気料金を16%値上げだそう。冗談ではない。今回の原発事故は東電と政府の過失によるものであり、これを国民に負担させるのは筋違いだろう。電気料金値上げは、事実上増税と変わらない。貧富に関係なく負担を増やし、また企業にも負担させるから法人税増税と変わらないだろう。政府は法人税が高すぎるから日本企業が国際競争に勝てなくなり、海外流出が続くと言っていたことを忘れたか。風評被害もあり、最終的には賠償金は10兆円程度になると予測が出ていた。デフレに苦しむ日本経済に、大震災のダメージが加わり、しかも電力不足、部品工場が生産停止してまともな操業ができない企業、原発事故での風評被害など、何重もの苦しみがある中で更に、電気料金値上げ、増税までやるつもりか。

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