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2011年5月23日 (月)

ハイパー・インフレ の話 【2】 (No.75)

    松浦 昇 氏の原稿第2弾です。

2. アルゼンチンのハイパー・インフレ 

私は読んで居ませんが「日本人がアルゼンチン・タンゴを踊る日」と題する本を書店で見かけたことがあります。有名になって居るだけあって、此の国はIMFの統計が入手できる1950年以降に限っても、猛烈なインフレを何度も繰り返して居ます。下の表の(GDP)デフレ-タ は名目GDP/実質GDPの比で、全体的な物価指数と考えて下さい。

アルゼンチンのGDP DEFLATOR の推移

     deflator   上昇倍率

1950   8.66/1兆

1970   5.33/1億   × 6,155

1985    2.92/千   × 547.8

1990     36.7    × 12,568

1995     103.1   × 2.8

2000     100.0

2007     215.8   × 2.15

1950年以降、3回の激しいインフレを経て2000迄に物価が約0.9兆倍になり、更に2007迄の7年間に 2.15倍になって、1950年の約2兆倍になりました。  この「激しいインフレを、何度も繰り返す体質」は、此の国の2つの特徴に起因すると言うのが私の見立てです。その一つは「消費財を供給する軽工業など産業の未発達」、2つめは「選挙で出来るポプリスト的政権と、クーデタで出現する軍事政権の交代を繰り返す政治的不安定」であり、是はこの国の成立した歴史と社会構造に根ざしたものです。

 この国への白人の侵入は16世紀に銀を求めて始まり、国名の Argentina も  La Plata 川の名前も、いずれも「銀」を意味します。当時スペイン領アメリカ全体を統治して居たのがペルーのリマに置かれた副王庁だったためもあり、アンデスに近い奥地が先に開け、その中心だったコルドバには17世紀初頭には大学ができて南米全体の文化の中心になり、北西部のツクマンと共に産業の中心となりした。

ところが18世紀初頭にポルトガルやイギリスの侵入に備えて、大西洋岸のブエノスアイレスにも副王府が置かれて港が開かれると、密貿易(正規の貿易は、全てペルーのリマを通じることになって居た)を中心に大いに繁栄したが、是が内陸部諸州の産業に打撃を与えました。さら19世紀の初頭からは、ブエノスアイレスの周辺から始まるパンパ(大草原)が、大規模農業・牧畜の中心として開けて経済力を蓄え、やがて「堂々と自由な貿易をしたい」と言う動機から、スペインからの独立を求めるようになりました。

このような歴史と産業的利害の対立に独立運動がからみ、王党派が支配する内陸部の諸州と、貿易で富を蓄えたブエノスアイレス州とは、政治的主導権を巡って武力衝突を含む対立・抗争を繰り返しました。この抗争はブラジルとイギリスの支援を受けた東方3州がウルガイとして独立し、首都をブエノスアイレス州と切り離したブエノスアイレス市に置くことで内陸諸州との妥協が成立し、アルゼンチン共和国が誕生しました。主導権を握ったブエノスアイレスでは「無関税の自由貿易」を主張し、西欧化を追求して居た自由主義者が主導権を持った為、ヨーロッパからの移民が殺到して国としては大いに繁栄したが、内陸部諸州の在来の古い産業は壊滅しました。

この頃までに、初期の白人入植者が放置した数百頭の牛馬がパンパ一帯に大繁殖し、これを先住民やガウチョ(インカの先住民とスペイン人の混血でパンパに広がり、原始的な牧畜を営んで居た)が捕まえて利用する原始的牧畜を営んで居ました。独立戦争が終息すると、此の軍事力をパンパの遠征に向け、先住民やガウチョを追い払って、広大なパンパを征服戦争の従軍者や支配階級に分配し、これが「大規模農業と牧畜」と言うこの国の経済の基盤となり、「大農場所有者である支配階級と大量のヨーロッパ系移民の子孫達」と言う、社会構造の骨格が出来上がりました。この中でアルゼンチンの社会構造の特徴と言えるのは、社会の下層から中流への移行は容易だが、支配階級は固定して居て、大農場主階級は、人脈的にも軍との親近性が強いと言う点です。

この様な経済構造をバックとして、第一次大戦中の食料輸出の急増もあり、1929年には「世界で5番目に富裕な国」となりました。しかし丁度発生した世界恐慌と、アメリカ中西部で発展した機械化大規模農業との競争で経済が急速に悪化して社会が不安定化し、軍事クーデタが発生して、その後も政治的混乱が続きました。この中から発生した国民主義的な流れに乗って1946年にペロン政権が生まれ、第2次隊戦中に中立を維持して得た外貨の蓄積をバックに重工業化や鉄道国有化と労働者保護などのポプリスト的政策を進めたが、重工業化が実を結ぶ前に外貨を使い果たし、一部から聖母のように崇められて居てエバ夫人の死もあって急速に支持をうしない、1955年に軍部保守派のクーデタで亡命しました。その後もペロンは国民的人気に乗って2度大統領に就任するが経済を立て直すのには失敗して、その都度クーデタによる軍事政権が生まれたが、彼等の経済政策も旨く行かず、選挙では、また急進党大統領が生まれる過程を繰り返して、結局1983年までに軍部のクーデタが5回も発生して、その都度経済政策が変転し、混乱を繰り返して経済力と国際的評価の低下が続きました。

軍事政権によるフォークランド奪還が失敗した後、1983年に急進党のメネム大統領が出て、敵対関係が続いて居たチリやブラジルとの関係を修復するのと平行して、軍政時代の人権侵害を裁き、軍事費と兵員の大幅削減や徴兵制の撤廃で軍部の政治力の源泉を削ぎ、多年の政治的不安定の原因を除きました。しかし当初の公約を破棄しての新自由主義的政策でインフレ抑制には成功したが経済の立て直しには失敗し、2001年にはドル・ペッグ制の破綻を切っ掛けにデフォールトに追い込まれました。国際的信用は失墜し、大統領が次々入れ替わる異常事態がつづきました。

その後2003年に、正義党(ペロニスト)左派から出たキルチネル大統領の下で政治的安定を取り戻して経済の再建も進み、2007年に選出されたクリスチーナ・キルチネル夫人の下で成長率は8%を記録しました。

日本とは全く異なる歴史・文化的背景や社会構造と産業構造、先進的産業国家としての発展段階や広義の資本蓄積の厚さで大きく立ち遅れて居るアルゼンチンで起きたハイパー・インフレの事例を日本に投影するのは、無知を丸出しの愚論としか言えません。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

国債発行について全く菜無知な白川総裁
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201105/2011052500607&rel=y&g=eco

投稿: | 2011年5月27日 (金) 22時14分

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