ハイパー・インフレ の話【1】(No.73)
松浦 昇 氏の原稿です。
「復興国債を財源として、被災地の支援と復興を急げ」と言うような話を持ち出すと、決まって反対する人々が現れ、彼等が口を揃えて言うのが「財政規律が失われ、ハイパー・インフレに見舞われる」と言う呪文です。私は「是はあり得ないウソだ」と確信して居ますが、この確信を皆様と共有できる様にするためには、先ず、今まで現れた本物のハイパー・インフレの実態を知って頂く必要があると思い至りました。此処で取り上げるハイパー・インフレの実例は次の3つですが、それぞれが極めて個性的です。
(1)第一次大戦後のドイツ (2)アルゼンチン (3)ブラジル
1.第一次大戦後のドイツの例
この例は時期的に2つに別れ、前半は 1919 年にベルサイユ条約を受け入れてから後の2年半で、此の間に物価が33倍(戦前の82倍)になりました。この原因は単純で、過大な賠償金の支払いです。条約で決まった賠償金は総額でGDPの20年分(1320億金マルク)を、毎年25億金マルク(GDPの約38%相当)づつ払えと言うものでした。金(または相当の外貨)なぞ有る筈無いから、実際には現物(ドイツの得意な石炭や鉄道車両やレールなどの鉄鋼製品)で支払いました。原料も製造設備もあったから物理的には支払い可能ですが、此らは私企業の製品ですから、政府はこれを買い上げてフランスに渡す必要があります。この財源は誰が見ても赤字国債しかありません。2年半で33倍は相当のインフレですが、後半に比べるとハイパー・インフレと言う程のことではありません。
後半のハイパー・インフレは時期的にまた2つに分かれます。その前半は 1922年6月から12月までの半年で、物価は24倍になりました。この経緯は奇想天外で「中央銀行の理事会が右翼政治家の一派に乗っ取られ、私企業の手形の無制限な割り引きを初めて、其の総額が前年実績の500倍になった」と言うのです。時のドイツ政府は社民党と右派の国民政党の連立内閣で、当初は社民党のラテナウ外相が主導権を持って居ました。彼は中々の実力者で、密かにレーニンのソ連と話し合い、ベルサイユ条約では未確定だった東方の国境問題(東プロシャや鉱物資源が豊富な上シレジアの帰属)を、ドイツに有利な形で決着すると共に、秘密の軍事協定を結んで、ドイツ軍将校がソ連軍の訓練を引き受けると同時に、ベルサイユ条約で禁じられた新型戦車などの開発とテストをソ連領内で行う等の取り決めをしました。(この様な人を「実力者」と言うのでしょうが、今の日本には現れそうに思えません。)
ところが此のラテナウが6月に暗殺され、その後内閣の実権を握ったのが、ラインランドの重工業資本をバックにした右翼政治家シュティンネスです。(シュティンネス自身も、父親から引き継いだ中堅炭鉱を、「垂直統合」と言うコンセプトを元に、ライン川の川船からアムステルダムをベースにする外航船の船団を持ち、これでバルチック海や、地中海から黒海沿岸まで石炭を売りさばき、帰りにはロシアの小麦や木材を買って来ると言う一大コンツエルンを築いた、ルールでも屈指の敏腕資本家でした。戦争中はルーデンドルフに見込まれ、占領地のベルギーで軍需品の生産を手がけて実績を上げたとされます。)ライヒスバンクが割り引いた手形の大部分は、当然ラインランドの重工業が振り出したものです。これで新鋭設備をジャンジャン買って、何ヶ月か後には何分の一かに減価したマルクで決済する。究極のモラルハザードです。この話の出所は 1975 年に東独で発行された「ドイツ経済史(1871~1945)」(H.モテック他、大島隆雄他訳)です。
この6ヶ月で物価は18倍、戦前の1475倍に成ります。
ハイパー・インフレの後半は翌 1923 年初頭からのフランス・ベルギー連合軍のルール進駐で始まりました。シュティンネスはかねてから賠償支払い拒否を主張して居ましたから、これを実力で徴収しようとした訳です。ドイツ政府は是に対して「ラインランドの炭鉱・工場・鉄道その他の一斉操業停止」を命じ、休業中の給与は政府が保証すると宣言しました。この1年で物価は7億倍になり、戦前の1919 年から通算すると1兆倍に達しました。
この年の暮れに、土地や工場などの現物資産をベースにレンテンバンクが設立され、レンテンマルクが発行されました。これが1:1兆ライヒスマルクで交換されて、さしものハイパー・インフレも収束しました。レンテンマルクが受け入れられたのは、是が金兌換でドル・ペッグ、発券額と国債引き受けに上限を設けたからです。この過程を仕切ったシャハトは「財政の天才」と謳われ、後にナチスの経済顧問を務めました。
私見ですが、レンテンマルクの成功のカギは、裏でのアメリカの了解があったからです。賠償支払いの一部繰り延べや、支払いの為のドル融資を含むドーズ案の実施がその僅か半年後だし、そもそも誰が見ても無茶なヴェルサイユ条約の賠償案を、フランスが一歩も譲らなかったのは、俗に「普仏戦争の屈辱の報復にこだわったクレマンソー首相の老いの一徹」とされますが、実はフランス政府がこれ相当の金額を戦費としてアメリカから借りて居て、終戦と共にその返済の開始を迫られて居たからでもあります。だからこの借款のリスケにアメリカがある程度応じた為に、話が進んだと言う側面を無視できません。
此のドイツの例は、産業国家として成熟した国で起こったハイパー・インフレの実例として、一見、我々には身近な話ですが、調べて見ると「特殊な環境下で発生し、これに奇想天外なハプニングが重なって生じた希有な例」である事が判ります。「赤字国債大量発行による財政規律の弛緩の結果」などと言う、面白くも可笑しくもない話とは、全く次元が違う物語りです。
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コメント
失礼します。日本経済復活の会の小野会長もtwitterを使ってみてはいかがでしょうか?より多くの人に情報を発信し、国債日銀引受のメリットを理解してもらうことができると思います。
投稿: ZCandQ | 2011年5月12日 (木) 04時21分
岩手県来ませんか?
投稿: S | 2011年5月12日 (木) 08時28分
twitterですか。どなたかに個人指導をしていただきたいですね。
岩手県?災害の写真を色々撮影して学校向けの教材として提供している関係もあって(教材になるあらゆる写真を撮影してます)行ってみたいですが、岩手で何をしましょう。
投稿: 小野盛司 | 2011年5月12日 (木) 09時06分
はじめてコメントします。
大変に興味深い記事でした。
胡散臭い「日本国破産」本の著者の馬脚が現れましたね。単に「赤字国債大量発行による財政規律の弛緩の結果」と結論して、国債発行の危険を叫び、恐怖を感じた読者に海外での資産運用を勧めるといった手法でトラブルになった人もいるようです。
投稿: ビクター・ハガーニ | 2011年5月12日 (木) 11時52分
国会議員のみなさんも国債引き受け(政府紙幣)の発行を理解しながらも、あまり大きな声で言えてないように感じられます。やはり、後援会や支持者との利害関係で言えないのとちゃいますか?いっぺん、お国に戻り後援会でいってみたらどうですか?
きっと先生がんばって!!と言う人がいると思いますよ。日銀引き受けが多額に実現できたら、きっと地元に多額の公共工事が発注できますよ。そうすればきっと先生は期待されますよ。マスコミも表に出したくないのは、利害関係者に押さえられているから、それができなくなるまで、運動を起こせばいい。かつて、安保闘争で国会を取り囲んだように。
投稿: | 2011年5月12日 (木) 20時16分