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2013年12月22日 (日)

江戸時代の経済を発展させた通貨増発(No.144)

通貨増発というと悪いことと決めつける人がほとんどだ。しかし、683年に日本最初の通貨である富本銭が発行されて以来、一切通貨増発がされていなかったら、現在の日本の発展はあり得なかった事は明らかであり、通貨増発は経済発展のために必要不可欠であることも自明の理だ。

江戸時代の通貨増発について少し書いてみる。江戸時代初期は、金銀が鉱山からたくさん掘り出され幕府の財政は潤っていた。1661年には385万両も蔵に蓄えていたことが記録に残っている。年間の歳出が20万両くらいだから、これは大変な額だ。保有金銀高を表にしてみる。http://ci.nii.ac.jp/naid/110005999961

年      保有金銀高(両)
1661     3,847,194
1722      136,618
1729     1,000,000
1742     1,000,000
1745     1,000,000
1750     1,148,373
1753     1,263,270
1770     1,717,529 
1775     1,717,529
1786     1,217,529
1787    467,529
1788      417,529
1791      377,529
1793      377,529
1806      377,529
1816      377,529
1819      400,529
1820      627,529
1821    1,000,000
1823    1,072,000
1829    1,076,000
1836    1,088,000
1837      488,000
1842      488,000
1847      618,500
1848    1,105,000
1852      605,000
1853      608,000
1855      608,000
1861      608,000

金を掘って小判をつくって幕府が使ったとしても、誰も文句を言わない。通貨増発にアレルギーを持つ人さえ何の抵抗もなく受け入れる。しかし、これもりっぱな通貨増発であり、当たり前の話だが、この小判を使いすぎるとインフレになる。蔵にある金を使って小判をつくって幕府が使ってもそれは通貨増発だ。貨幣改鋳だけが通貨増発というわけではない。

ところが、これに銅や鉄といった金銀以外の金属を混ぜて小判を作ったりして金の量を減らすと、とたんに幕府への非難の声がわき上がる。貨幣改鋳だ。しかし経済活動という面から考えると、経済拡大のためには貨幣流通量を増やすのが絶対条件だ。どの金属を使おうと、金の含有量など関係ないし偽造が防げるなら紙でも瓦礫でもよい。

江戸時代初期までは金鉱からの採掘量が豊富だったが、それではだんだん足りなくなってきて貨幣改鋳を行い、お金の量を増やし続けている。改鋳された小判の金の含有量をグラフにしてみる。出所:日本歴史館 小学館 P677

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金含有量を減らせば、多くの小判を作れるから、通貨増発だ。通貨を増発すればインフレに、減らせばデフレになるのだが、長い目でみれば江戸時代は物価は安定していた。それは経済規模が拡大し、通貨増発の影響を吸収し経済発展に貢献していたことを意味する。通貨増発がなかったら、厳しいデフレが続き経済発展には悪影響を及ぼしていたことは間違いない。次のグラフは米一石の値段の推移(江戸)である。

                   出所:岩橋勝「日本歴史大事典4」

1442_2


このグラフを見ると、米価は一石が約一両程度で長期的に安定していたことが分かるが、短期的な変動は常に見られる。当時の米作は冷害に弱かった。何度も飢饉に見舞われ、そのたびに大量の餓死者を出した。そのため、米価は不安定だった。通貨増発による値上がりであれば、上がったら下がらないが、飢饉による値上がりの場合は、豊作の年には下がっている。

1782年から1788年にかけて発生したのが天明の大飢饉である。悪天候や冷害で収穫が激減し、また1783年4月に岩木山、7月に浅間山が噴火し各地に火山灰をふらせ、それによる直接的な被害にとどまらず、日射量低下で冷害傾向をもたらし、農作物には壊滅的な被害が生じ、広前藩だけで十数万人の餓死者を出し、全国的には92万の人口減を招き、米価はこの期間値上がりした。

1833年から1839年にかけて天保の大飢饉が発生した。洪水と冷害による被害で、各地で多数の餓死者を出した。大阪では毎日150~200人を超える餓死者を出したという。米価は1836年に3.03両のピークを迎え、37年には2両、38年には2.03両、39年には1.2両というように下がっていく。この下がる途中で天保の改鋳は行われた。これにより有効需要を拡大させ、経済発展に刺激を与えたと言われている。
(新保博 『近世の物価と経済発展』、東洋経済新報社、1978年 を参照)

荻原重秀が行った1695年の元禄の改鋳では84.29%の品位(金の含有割合)の慶長小判から、品位57.36%の元禄小判へと改鋳を行い474万両の貨幣発行益が出て、幕府の歳入を増やした。これにより未曾有のインフレをもたらしたと考えられていたが、その後の研究でインフレ率は3%程度と分かった。リフレ政策がデフレからの脱却に有効であることを証明した。通貨増発が必ずハイパーインフレを招くという通説を覆した例でもある。

続いて1710年にも宝永の改鋳を行っている。これは17.85gの元禄小判から9.375gの宝永小判に改鋳した。ただし、品位は84.29%に戻した。こちらは貨幣流通量の増加率が急ピッチで、かなりのインフレを招いた。

これを見た新井白石は、「悪貨」を回収し、元の「良貨」に戻したため、貨幣の量が激減し数年間デフレが続き、庶民を苦しめた。そこで1736年徳川吉宗は元文の改鋳を行い、デフレを止めた。通貨増発でデフレは止めることができるということが示され、幕府の財政を助け、経済に好影響を与えたということで、高く評価されている。

江戸時代、改鋳は8回行われている。幕末に行われた安政・万延の改鋳は開国に伴う金流出を防ぐ目的で行われたものであり、激しいインフレを招いた。これは国の内外で金と銀の交換比率が3倍も違ったために、金が大量に海外に流出したのを食い止めるために行われた。他に手段がなかったのだから仕方がないとして、それ以外の改鋳では経済規模の拡大が貨幣の増大を吸収したわけで江戸時代の物価は安定していた。例えば米1石の値段はほぼ1両の前後のままだった。改鋳が無かったら、経済拡大でデフレが続き庶民を苦しめたのは間違いない。

改鋳により幕府は歳入のうちかなりの部分を貨幣改鋳益で補った。1821~1825年の貨幣改鋳益の歳入に占める割合は20.9%であった。1840年~1864年の間で歳入に占める貨幣改鋳益の割合が分かったものを次に表で示す。

1443_2

歳入の内訳が分かった年もある。

① 1842年の歳入  156万7000両
   貨幣改鋳益金 55万7000両
         出所:日本経済史大系4 近世下

1444_5




②  1843年の歳入  154万3000両
   貨幣改鋳益金 39万4400両
         出所:岩波講座 日本歴史12 近世4

1445_5


③  1844年の歳入  257万5500両  前年比67%増
   貨幣改鋳益金 85万6400両
   この年は江戸城本丸の再建費用に83万6100両を使っている。

1446_5

幕末にインフレになったのには、もう一つ理由があった。近代的な国家をつくるための準備費用だ。具体的には次のようなものがあった。
江戸湾砲台築造  75万両
海軍創設費 外国から軍艦を輸入 333.6万ドル
長崎・横須賀の製鉄所   158万ドル
横浜造船所・横須賀製鉄所建設費  240万ドル
生麦事件償金 44万ドル
下関事件償金 300万ドル
将軍上洛費   107万両
長州征討費   437万両

改鋳は現代流に言えばマネタイゼーションだ。これはやってはいけないと言われている。もし、江戸時代に改鋳を行わず、幕府の財政赤字を国民からの借金で補っていたらどうなっていたか。庶民から莫大な資金を吸い上げていたらデフレが続き、国は貧乏なままであったに違いない。しかも幕府の借金は積み上がり、いつ財政破綻するのか国民は絶えずおびえていなければならなかっただろう。江戸時代には改鋳で生じた発行益は歳入に組み入れられている。万一それによりインフレになったとしても、それはその世代が犠牲になればよいだけだ。しかもどの位の規模の改鋳であれば、どの位のインフレになるということは経験で知ることができるので、インフレによる被害は小さくできる。また改鋳益のお陰で、税金はずっと軽くできるというメリットもある。

一方で、国民から借金をくり返したときは、国の借金の増大は被害を将来世代へと先延ばしにする。しかも増大した借金のお陰で、そのうち国の財政が破綻したかもしれない。本当にそれで良いのだろうか。将来世代に対して我々は無責任過ぎないか。政府が歳出を削減すればするほど、デフレは悪化し問題は拡大する。今、デフレの時代、我々が学ぶべきものは、現代と同じくデフレに苦しんでいたとき、それを克服した元文の改鋳だ。マネタイゼーションでデフレは止められる。金融緩和とは、小判を大量につくって金蔵に溜めておくことだ。いくら溜まってもそれが国民の手に渡らなければ何の効果もない。

マネタイゼーションは許されるべきだ。つまり溜まったお金を、減税とか医療・介護・福祉・教育・公共投資などに政府は思い切って使って頂きたい。江戸時代の経験から、我々は多くのことを学ぶべきだ。財政規律はどうなるのかという質問があるかもしれない。江戸時代、貨幣改鋳益を出さず、財政規律を守っていたら、深刻なデフレが続き、経済の停滞は避けられなかっただろう。財政規律が問題になったかもしれないのは、宝永の改鋳と安政の改鋳だが、安政の改鋳は開国のため、近代国家建設のため仕方がなかったのではないだろうか。そうなると、唯一財政規律を問題にすべきは宝永の改鋳だけだったことになる。どの局面でどれだけの通貨発行が許されるかはマクロ計量経済学を駆使すれば計算で求まるはず。現代はデフレ下でもマネタイゼーションは1円たりとも許せないといった議論は許されるべきでない。適切な量のマネタイゼーションはデフレから脱却を可能とし経済を発展させる。

通貨の信認はどうかと言えば、江戸時代の経験から全く問題にならないという結論だ。

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コメント

 お晩です。higashiyamato1979です。最早云うこと無しです。お札を刷ることをタブーにするのはいいかげんやめるべきです。
 それでは決まり文句! お金が無ければ刷りなさい! 労働はロボットに!人間は貴族に!

投稿: higashiyamato1979 | 2013年12月24日 (火) 21時12分

日本人は既に組織規律を十分に持っているのであるから
財政規律など必要ないのです。

事実、外国人が日本に訪れた時
「規律ある日本人」
という表現をされます。

既に規律は十分に存在しているのであるから
必要以上に規律を叫ぶべきではないと思うのです。

投稿: | 2013年12月29日 (日) 22時40分

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