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2017年2月27日 (月)

AIに仕事を奪われても困らない理由(236)

AIあるいはITが近い将来仕事を奪うことを過度に心配する人がいる。「悪くすると」100%の仕事を奪われたら人間は全員失業するから飢え死にするしかないと考えているのだろうか。人工知能にできない仕事をすればよいかもしれないが、そんな仕事などないかもしれない。

ちょっと待って欲しい。人類はもともと狩をしたり、木の実を探したりして暮らしていた。その頃は全員が失業者だった。でも全員が飢え死にしたわけではない。誰かに雇われなくても食べ物を確保できれば生きていけたのだ。未来の世界ではAIやITが我々が必要とするものをすべて作ってくれるとしたら、それを人が入手できるような仕組みをつくるだけで誰もが生きていけるのだ。筆者は「労働はロボットに、人間は貴族に」という世界は必ず実現可能であり、その方向に向かって社会を変えていかねばならないと主張する。

労働がAIやITに奪われることの意味を次のように考えてみよう。若い人には分からないかもしれないが、筆者が小学校の頃は、家庭内で行う「労働」は沢山あった。風呂を沸かすときは、まずつるべ井戸で水をつり上げ、それをバケツに移し、何度も風呂まで運んだ。十分水が風呂に入ると、風呂を焚く。まず新聞を燃やし、それで細い木に火をつけ、次に太い薪(まき)を燃やす。薪が燃え尽きる前に新しい薪を入れる。何度も温度を確かめ、熱すぎたら水で薄める。これでやっと風呂の準備ができた。今はスイッチ一つで適温で適量の湯が準備できる。父は小さな木材業を営んでいた。時々まとまった仕事が入ると、バイトの人を呼びに行かなければならなかったが、それは小学生の私の仕事だった。バイトの人の家は3km位離れていて山を越えて行かなければならなかった。「明日来て下さい」と言うためだけに、遠い所まで歩いて行かなければならなかった。今なら電話でもメールでも使えば30秒もかからない。洗濯だって洗濯板での洗濯は大変だった。今なら全自動の洗濯機に入れるだけで洗濯も乾燥もやってくれる。

つまり沢山あった仕事(労働)がITや機械に奪われてしまった。それが大変悪い結果をもたらしただろうか。いや、その替わりにテレビが見れるし、友人と話しをすることもできるし、習い事や塾などに行くこともできる。かつては家庭内の仕事をしなければ、母は食べさせてくれなかったかもしれないが、その仕事がITに奪われた。その結果として「仕事をしなくなったからあなたには食事をあげません」と母は言わない。単に家庭内のルールが変わって、仕事が奪われても食べさせてもらえるようになっただけだ。

これと同じだ。「仕事」をしないからと言って「食うべからず」などと言わない社会システムを作ればよいだけだ。あるいは今では仕事と言わないような仕事を、仕事だと定義し、給料を払えば良い。政府が発想の転換をすることだ。これは日本政府にもトランプ氏にも言える。製造業で働かせることだけが「仕事」ではない。政府はいくらでもお金を作り出すことができることを忘れてはいけない。まずやるべき事は、AIに巨額投資をしてAIの進歩を加速し、人からどんどん仕事を奪うとよい。それを放置すれば、失業者が増えるが、政府がお金を作って使えば、政府支出を拡大することができ、新たな職を増やす事ができ,失業者を吸収できる。

政府が1000兆円の国の借金を返すことばかり考えていたら日本国民は大変な苦痛を味わうだけでなく、借金は永遠に返せない。しかし、国が通貨発行権を行使すれば国の借金の「返済」は瞬時に終わり、通貨の信認を確保したまま、豊かな未来へと日本を導くことができる。

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コメント

 今日は。higashiyamato1979です。本エントリーは日本の知識人に根本的な変革を迫るものだと思います。
 それでは決まり文句! お金が無ければ刷りなさい! 労働はロボットに!人間は貴族に!

投稿: higashiyamato1979 | 2017年3月 2日 (木) 15時13分

 AIがどんなに画期的でも、これまでの産業革命と同じく、世の中全体では雇用のシフトが発生するだけでしょう。
 汎用AIはまだまだ先の話でシンギュラリティは夢のまた夢。近々普及して人間を超えると言われているのは特化した産業AIのことです。ビッグデータを必要とする分野の判断のスピード化、精密化しか出来ません。個別対応のサービス部門はこれまでも人間が優位でしょう。

 もちろんいくつかの個別の労働・職種は消えるので、そこに特化して生活していた方々は驚き困惑し怒ることでしょう。部分特化でも生産は増加し、消費の自由は拡大するので、AI化を拒否する方々が既存の労働を続けて市場での地位を守れるのなら、そのまま働いていただいて構わない。(日本の工芸品産業や、イタリアのファッションブランドのようにかえって価値が高まるかもしれません。)

 全ての産業革命は、労働の仕方を変えるのであって、産業や雇用をなくすのではない。それどころかAIの導入によってより付加価値の高い産業に労働をシフトしたり、既存の労働の付加価値が高まるわけで、AIが人間不要の社会をつくると言う懸念は単なるテクノフォビアに過ぎないと思うのです。

投稿: いたばしさとし | 2017年3月 3日 (金) 09時22分

確かに、AIが入ると労働の仕方が変わってきます。それが人間にとってより快適な仕事へのシフトということになります。歴史的にもそうです。かつては女工哀史に見られるような過酷な仕事でしたが、今は労働環境ははるかに改善しています。今後もその傾向が続き、かつてはこんなこと仕事とは言えなかったというような仕事を仕事として認められるようになります。自動運転車が普及し、人工知能が人間の言葉を理解するようになれば、人間がする仕事も相当変わってきます。人工知能の発達は加速度的です。

投稿: 小野盛司 | 2017年3月 6日 (月) 14時32分

有難う御座います---!

投稿: Lee | 2017年3月23日 (木) 13時44分

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