日本は20年もの間デフレから脱却できていない。財政を拡大すれば簡単にデフレ脱却が可能だ。しかし財政赤字拡大は将来世代へのツケを増やすという人がいるが日銀がお金を刷って大量に国債を買っている現在、財政拡大は事実上通貨発行権の行使であり将来世代へのツケは増えない。なぜ財政拡大をしないかと福田議員が政府に聞くと「通貨の信認、国債の信認が失われハイパーインフレになるから」という安倍総理からの答弁書が返ってくる。物余りの現在本当にハイパーインフレになるのかと聞いたときの安倍総理の答弁書例えば内閣衆質190第39号(平成28年1月22日)を引用する。
7について
ハイパーインフレ-ションは、戦争等を背景とした極端な物不足や、財政運営及び通貨に対する信認が完全に失われるなど、極めて特殊な状況下において発生するものであり、現在の我が国の経済・財政の状況において発生するとは考えていない。
例え円という通貨の信認が完全に失われたとしても、日本国内で経済活動が完全に停止するわけではない。何らかの代替手段で売買が行われる。その代替手段が物々交換ではないことは安倍総理からの答弁書でも述べている。内閣衆質192第179号(平成28年12月9日)を引用する。
13について
先の答弁書12についてでお答えした「通貨に対する信認を著しく損なう」とは、我が国の通貨に対する内外からの信認の低下を通じて激しいインフレが生じるような状況を述べたものであり、ご指摘の「日本国内では日本円が全く使えなくなる」及び「物々交換を除き国内すべての経済活動が停止する」という状況になるとは考えていない。
安倍総理の答弁書では国の借金が1000兆円を超えているのだから、これから景気対策をすれば、円の信認が失われ激しいインフレになるという主旨だ。それでは日銀の保有する国債を無利子・無期限の国債にコンバートすれば国の借金は激減するから景気対策が可能になるのではないかと福田議員が聞いたときの、安倍総理の答弁書を次に引用する。内閣衆質193第30号(平成29年2月3日)
御指摘の「コンバート」を行えば、財政運営及び通貨に対する信認を著しく損なう結果、激しいインフレが生じる旨を述べたものである。したがって、御指摘の「コンバートによって極端な物不足が生じる。」「コンバートによって激しいインフレが起きるということは消費が激増する」及び「コンバートによって消費・需要が大きく拡大する」とは考えていない。
ここで安倍総理が述べているのは「コンバートによって円の信認が失われ激しいインフレになる。しかし、極端な物不足になるわけでもないし、消費・需要が大きく拡大するわけでもない。」ということだ。極端な物不足にならなくても、消費・需要が拡大しなくても激しいインフレになるのだそうだ。一体誰がこんな馬鹿な経済理論を安倍総理に教えたのか。価格というものは需要と供給の関係で決まるということは中学の公民の教科書にもしっかり書いてあり、政府の経済理論が間違いであることは中学生でも知っている。馬鹿な経済理論が出てくるのは「通貨の信認」の意味を理解していないのが原因だ。そこで以下で通貨の信認が失われた例と失われなかった例を挙げる。これを読めば今の日本で景気対策を行っても通貨の信認は失われないことがはっきりする。是非、このような事を国会で議論して頂きたい。森友・家計問題よりケタ違いに重要な問題であり、今後日本経済が立ち直れるかどうかは正しい経済理論が理解できるかどうかに掛かっているのだから。
【例1】
ビットコインが円に置きかわる場合
これは次のサイトですでに詳しく述べた。
http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2017/12/no279-74a0.html
ビットコインが今後も暴騰を続けたとしよう。それは逆に言えば円がビットコインに対し暴落を続けるということであり、最終的には円は価値がなくなる。人はビットコインで売買をするようになり、価値を失った円を1億円出しても鉛筆1本も買えなくなる。円で見れば激しいインフレだが、ビットコインでみれば物価は安定してくる。ビットコインのほうが、円よりも便利だし信頼できると国民が信じたとき円がビットコインに置きかわると言うことだ。円が暴落すれば国債も暴落し最終的に無価値になるから国の借金は消滅する。円を使っている限り低成長が続き、日本は諸外国に比べ貧乏になり続け、しかもどんなに増税しても国の借金は減らないことがはっきりすれば、国民は円に見切りを付けるということもあり得る。逆に、ちゃんと景気対策をやって諸外国並の成長率を取り戻せば、GDPが拡大し、国の借金のGDP比も減少し、円の信認も回復する。とはいえ、現時点では信用の高さでは円はビットコインをはるかに上回っている。
【例2】
山田方谷による財政再建
山田方谷(1805~1877年)は、幕末期に財政破綻寸前の備中松山藩5万石を立て直した。当時の通貨は幕府の発行する貨幣と藩が幕府の許可を得て発行する紙幣である藩札の2種類であった。藩札は地域通貨のようなもので、発行するには藩は兌換のための準備金を必要とした。備中松山藩では大火災もあり、大量に藩札が発行されたため貨幣に比べ値打ちが下がっており、偽札も出回っていた。このように信用が落ちた藩札が流通していては経済に悪影響を及ぼすと考えた方谷は1850年~1852年の間に藩札の回収を断行した。
1852年9月5日の朝8時から藩札をたくさんの見物人が見守る中で焼却した。遠方からも見物人が集まり、お祭りのような賑わいになった。
その後、着実な準備金のもとに永銭(永札)と呼ばれる新紙幣を発行した。これにより藩札の信用が回復し、それを元手に新しい産業を興すことができ財政再建を成し遂げた。この例では信用の落ちた旧藩札を焼き捨てて新藩札に置き換えて信用を回復している。現在の1万円札は、回収して焼き捨てなければならないほど信用は落ちていないし、現在の程度の財政赤字で落ちるわけがない。30万円の給料が自分の口座に振り込まれたとき、このお金は本当に信用できるのか、果たしてお店で使えるのかと心配する人は一人もいない。政府の財政赤字とは全く関係無く円の信用は完璧に得られているのである。しかも流通していたのが貨幣と藩札であり、藩札の信用が落ちれば貨幣を使えば良い。今の日本では円を使わない場合は代替貨幣はない。
方谷は殖産興業を推進し改良した備中鍬(くわ)を生産し江戸で大ヒットした。様々な特産品も開発、銅山経営も実施、農業指導もした。その結果10年で10万両あった借金を完済し、さらに10万両の蓄財まで成功した。
【例3】
太政官札の場合
1686年明治維新の際、維新政府の財源確保のため太政官札を発行したが当初太政官札は国民の信用は得られなかった。やむなく手にした商人は、そのまま両替商で、額面より安く小判などに換えたが額面の2割まで下落した。戊辰戦争で多額の費用を必要としたので、大量に発行された。印刷が粗末で偽造されやすく、偽札が出回った。信用を得るために1872年明治通宝が発行された。これはドイツの近代的印刷術を導入して印刷されたので、偽札防止に役立った。更に信用を高めるために1885年には、日本銀行が日本銀行兌換銀券が発行された。これは、政府が同額の銀貨と交換することを保証した兌換紙幣である。
このようにかつては円の信用を得るために政府は大変な努力をしなければならなかった。今は技術も上がり偽札の心配もほとんど無くなり、金や銀との交換を保証しなくても国民は完璧に円の価値を信用しているのである。財政赤字が拡大しても円の信用に疑義を抱く者などどこにもいない。
【例4】
中国で円が法弊に破れた理由
日本のような小国が、なぜ中国大陸だけで100万人もの兵を派遣し太平洋戦争を戦うことができたのか不思議に思うかもしれない。戦費は現地でお金を刷って獲得した。占領した現地に発券銀行を設立しそれぞれ通貨を発行し戦費を調達した。
韓国 ・・・ 朝鮮銀行 → 朝鮮銀行券
満州 ・・・ 満州中央銀行 → 満州中央銀行券
中国 ・・・ 中国聯合準備銀行 → 中国聯合準備銀行券
台湾 ・・・ 台湾銀行 → 台湾銀行券
しかし、いくら刷っても現地の人がお金をして認めてくれなければ価値はない。国全体を完全に統治できれば問題はないが、そうでない場合もある。
1937年から始まった日中戦争は困難を極めた。日本軍は中国聯合準備銀行を設立し中国聯合準備銀行券を発行した。この銀行兼の信認を得るために日銀発行の円と朝鮮銀行発行の円を聯銀券と等価にして聯銀券の信用を高めようとした。しかし、巨額の戦費を賄うために聯銀券を発行し過ぎたためにインフレになり信用を落とした。一方で蒋介石の国民党が法弊を流通させた。日本より資金力の勝る英米は法弊の後押しをし、印刷も英米が行った。その結果、信用という面で聯銀券は法弊に勝てなかったし、その結果戦争でも日本は中国を占領できなかった。
これから分かるように、信用というものは発行量だけで決まるのではなく、発行する主体が信用に値するかどうかということも強く影響することが分かる。現在円の信用を高めたいなら、財政を拡大しデフレから脱却し経済を強くする必要があるのである。
【例5】
皇朝十二銭の失敗
皇朝十二銭は708年から963年にかけて日本で鋳造された12種類の銅銭の総称である。最初に和同開珎が708年に発行された。これはわが国で流通したことが分かっている最古の貨幣である。その52年後には万年通宝への改鋳が行われた。この時、和同開珎10枚と万年通宝1枚との価値が等しいと定められ交換された。これは1000%のデノミである。新銭の発行ごとに1000%のデノミが行われたので、旧貨幣は価値を失ったため政府の発行する銅銭への信頼は失墜し、貨幣としては使わず大量に溶かして銅材にして新貨幣との両替を拒否した。当時の製錬技術は未熟で銅は資源の枯渇にさらされており価値は上がっていた。したがって高品位の銅で貨幣をつくると貨幣として使われず溶かして銅地金として使われるため、それを防ぐには貨幣に使う銅の品位を下げるしかなかった。品位が下がると益々貨幣としての価値が認められなくなったが、更に偽の貨幣も多く出回るようになり貨幣の信用を更に落とし、結果として流通しなくなった。当時の支配層が経済学の知識を持ち合わせておらず、ひたすら神社に新貨幣を奉納し流通を祈願するだけだった。これでは通貨の信認が得られる訳がない。
1000%のデノミは貨幣量を一気に10倍にすることを意味する。それが10~50年に一度行われたのだから、政府発効の貨幣は信用を失った。当時なぜ貨幣が使われなくなったかを政府は理解しておらず、対策も持ち合わせていなかった。1000%のデノミなど行わず、貨幣の信用を高める努力が行われていたら莫大な通貨発行益が得られることも理解できなかった。その後、政府による貨幣の鋳造の再開は600年以上後の1608年に鋳造された慶長通貨の鋳造まで待つことになる。
現在の日本政府は景気対策をすれば通貨の信認が失われると言っているが、「通貨発行すれば神のたたりがある」と言うのと同じレベルの発言だ。まさか通貨の流通量が10倍になるほどの景気対策をするわけはないだろう。デフレから脱却できる程度の景気対策を行うならむしろ通貨の信用は高まるのである。
【例6】
平清盛は宋銭を使って通貨発行権を行使
皇朝十二銭の失敗の後は、絹や米が代用貨幣として使われていた。平清盛は輸入された宋銭を貨幣として流通させるまで約200年間の貨幣の空白期間があった。平清盛は宋銭を使い事実上の通貨発行益を得た。当時日本国内で発見されていた銅山は採掘量が急速に悪化しており、市場の要求に答えるだけの良質の貨幣を供給することが出来ず、貨幣は宋からの輸入に頼った。平氏政権は日宋貿易で莫大な利益を得たのだから国産の貨幣を作ることもできたのかもしれないが、宋に貨幣の鋳造をまかせることで得られる利益で満足したのだろう。当時宋銭は日本だけでなく東亜アジア全域で使われた国際通貨だった。平家が貨幣を輸入するシステムを作ってくれたおかげで日本の経済は飛躍的に成長した。平清盛は貨幣の流動性の大切さを理解していた。デフレ脱却に失敗し続けている現在の財務省や日銀よりずっと賢い。
代替貨幣としての絹や米には次のような欠点があった。
(1)重くてかさばる
(2)長期の保存に不適
(3)品質によって価値にばらつきがある
これに比べ宋銭は小さくて軽いし、数えるのが簡単だし、長期の保存の可能ということで、通貨として流通するようになった。また余った貨幣は富として蓄えることもできるようになった。宋銭を皆が使うようになると、不便な代用貨幣である絹や米の価値は下がり、それらを大量に蓄えていた貴族たちは損害を被り、没落したという説がある。ということは平家と従来の貴族の地位の逆転は通貨発行権の行使が原因と言うこともできる。しかし、平清盛が64歳でなくなると、平家は滅びてしまう。その原因の一つに、飢饉がおき米の値段の暴騰、つまり金属貨幣の価値の暴落があると推測されている。つまり限られた量の宋銭では、もはや米が買えなくなったということだ。自前で貨幣を作っていれば状況は変わっていたかもしれない。
【例7】
江戸時代には改鋳で政府貨幣である通貨を増やした。
江戸時代初期までは金鉱からの採掘量が豊富だったが、それではだんだん足りなくなってきて貨幣改鋳を行い、お金の量を増やし続けている。つまり金の含有量を減らして貨幣の量を増やした。米価は一石が約一両程度で長期的に安定していたことから通貨増発で激しいインフレが起きなかったことが分かる。もちろん通貨の信認が失われることもなかった。改鋳による通貨増発が有効需要を拡大させ、経済発展に刺激を与えた。貨幣改鋳益はそのまま歳入に組み込まれた。その歳入に占める割合(%)を以下で示す。
年 貨幣改鋳益の割合(%)
1840 41.2
1841 51.4
1842 35.6
1843 25.6
1844 31.4
1845 33.3
1854 25,3
1855 25.3
1857 25.1
1861 49.6
1863 52.3
1864 70.3
江戸末期には改鋳益が増えている。これには2つの理由があった。第一の理由は開国に伴う金流出を防ぐ目的で行われたものであり、激しいインフレを招いた。これは国の内外で金と銀の交換比率が3倍も違ったために、金が大量に海外に流出したのを食い止めるために行われた。他に手段がなかったのだから仕方がない。第二の理由は近代国家をつくるための準備費用である。具体的には防衛費や製鉄所の建設費などである。
現在の日本は財政が不足した場合国債を発行することによって賄っている。そうすると利払いがかさみ、将来世代へのツケを残してはいけないという配慮から緊縮財政となり、デフレが慢性化し経済が衰退する。経済が発展するには成長通貨を政府が発行し絶えず経済を刺激しなければならないのだが、現在の日本政府はその事を全く理解していない。
政府貨幣発行で天下統一
皇朝十二銭への信認が失われた後、600年以上日本では政府貨幣は作られなかった。政府貨幣の再開は1608年に鋳造された慶長通宝まで待つことになる。なんと600年もの間、政府は貨幣発行で国を豊かにできることを理解できなかったということだ。国家を統一し繁栄に導くためには通貨発行権を駆使することが不可欠である。豊臣秀吉は全国の金銀鉱山を収納し、大判・小判を鋳造し黄金 5000枚、銀30000枚を全国の大名・公卿(くぎょう)に与えた「太閤の金配り」を行った。1590年、豊富な資金力で天下統一し戦国の世を終わらせた。大阪城を築城し朝鮮出兵まで行った。
一方で、中国が統一されたのは紀元前221年の秦の始皇帝である。秀吉より約1800年も前のことだ。中国で貨幣を統一したのもやはり秦の始皇帝だった。渭水南岸に阿房宮という巨大な宮殿を建設し、70万人の労働者を動員して始皇帝陵を建設した。また何十万人という人々を動員し万里の長城の前身となる防護壁の建設に着手した。このような大事業を成し遂げることが出来たのも通貨発行権を使ったからだと推測できる。中国は日本より1800年も前に通貨発行権行使の重要性を理解していたことになる。
平成はデフレの時代であった。政府が通貨発行権を行使すればデフレはすみやかに脱却できたのに「怖くて」行使できなかった。「国債が暴落する」とか「通貨の信認が失われる」とか「ハイパーインフレになる」とか、全く経済を理解していない政府が日本を衰退させてしまった。
デフレで国が衰退する
デフレ経済では、通貨は放置しておいても価値が増す。そのため人はお金を使わないから消費は伸びず、その結果生産も伸ばす必要がなく経済の衰退を導く。デフレは国をジワジワ衰退させる恐ろしい病気だから絶対にどの国もデフレにならないようにするのだが、日本政府はデフレ脱却の方法を知らないようだ。
wikipediaより古代エジプトの通貨についての説明を引用する。古代エジプトでは、貴金属が貨幣として使われた。初期には金属を秤で量ってやりとりされたが、後期には鋳造貨幣が用いられた。興味深い例としては、モロコシなどの穀物を倉庫に預けた「預り証」が、通貨として使われたこともある。現在の通貨と違うのが、穀物は古くなると価値が落ちるということである。したがって、この通貨は長期保存の出来ない、時間的に価値の落ちて行く通貨である。結果として、通貨を何かと交換して手にいれたら、出来るだけ早く他の物と交換する事が行われたため、流通が早まった。その結果として古代エジプトの経済が発達したといわれ、この事例は地域通貨の研究者によって注目されている。また、ローマの影響下で貨幣が使われるようになった結果、『価値の減って行く通貨』による流通の促進が止まり、貨幣による富の蓄積が行われるようになりエジプトの経済が没落したという意見もある。
日本経済復活への道
ここで述べた事から日本経済復活の方法は明かだ。通貨の信認が失われないように注意しながら通貨発行権の行使、つまり減税とか財政支出の拡大をすることだ。皇朝十二銭の場合は通貨の流通量の10倍もの貨幣を発行してハイパーインフレを招き信認が失われた。しかし10兆円~20兆円程度の財政拡大であれば円の信認が失われることはない。円の信認が失われるときは、円に対抗して別の通貨が並行して使われ始めたときだ。例えばビットコインやドルだが、現時点で円で買い物ができなくなる店は当分国内では現れそうもない。日銀がお金を刷って国債を大量に買っている現在、政府が財政赤字を拡大するということは事実上の財政ファイナンスであり、通貨発行権の行使だから将来世代へのツケは増えない。それにより通貨の信認が失われるという主張が間違いだということは前述の7つの例から明らかだ。むしろそのような主張は「通貨発行で神のたたりがある」と言っているようなものだ。経済をきちんと理解すれば現在の日本で最適な政策は減税・歳出拡大で財政赤字を増やすことだということが自明となる。