経済・政治・国際

2018年7月 9日 (月)

内閣府計量分析室は今年の夏もオオカミ少年だった(No.309)

2018年7月6日に内閣府は経済指標を発表した。これは長年の年中行事になってしまったが、政府に忖度し一旦政府の意向に沿った過大な成長見通しを発表しておき、その後順次現実に沿った成長率へと下方修正するのである。今回の発表もやはり半年前に予測した成長率から大きく下方修正している。例えば2017年度の名目成長率は2.0%から1.7%へ、2018年度の名目成長率は2.5%から1.7%へと下方修正された。

このような忖度と下方修正はすでに十数年間繰り返されている。滑稽な話だが、内閣府はその年の成長率さえも正しく予測できない。これは気象庁が政府に忖度し「今日の天気」ですら、毎回間違えた予測をするようなものだ。以下に発表した年の名目GDP成長率の予測を示す。
        内閣府試算  実際の成長率
2007年度  2.0%   0.8%
2008年度  2.1%  -1.3%
2009年度  0.1%  -3.7%
2010年度  1.8%   1.1%
2011年度  1,0%  -1.9%
2012年度  2.0%   0.3%

すべてとてつもなく過大評価していることが分かる。2013年度以降は民間の機関の予測と比べてみよう。
        内閣府     ESP     実績
2013年度  2.6%   1.16%   1.8%
2014年度  3.3%   2.35%   1.5%
2015年度  2.7%   2.45%   2.8%
2016年度  3.1%   2.02%   1.0%
2017年度  2.5%   1.44%   1.7%

ESPとは日本経済フォーキャスター41人(民間機関)による予測の平均である。内閣府の予測の方が正確だったのは2015年度の1回だけ。つまり4勝1敗で民間の圧勝である。2015年度はアメリカのシェールオイル開発による原油価格の暴落でGDPが一時的に押し上げられたのだが、原油価格の暴落は誰も予測できなかった。通常ならOPECが生産調整し価格を維持するのだが、当時OPECは予想に反し米国のシェールオイル産業を潰そうとして減産しなかった。内閣府は政府に忖度しほぼ毎回過大な予測を出しでいるが、ESPはそのような忖度はなく、過大予測と過小予測が混じっている。この比較から明かである事は、内閣府の予測よりESPの予測の方がはるかに正確だということだ。そうであれば、内閣府に巨額の費用(税金)を払って、全くお粗末な予測を出す必要があるのかということだ。ESPの結果があれば十分だ。

これまではお粗末な内閣府の予測を基にして経済政策の立案がなされている。マスコミも経済評論家も日本経済の将来を語るときは必ず内閣府の予測をベースに論じた。しかし、内閣府の予測よりESPの予測のほうが、はるかに正確なのだから、今後はESPの予測をベースに考えるべきだ。政府の経済目標も、お粗末な内閣府試算をベースに立てられていたから、達成に失敗し無残な結果に終わっていた。ESPに切り替えればはるかに正確な予測が可能となり、政府目標の達成も可能となる。

政府(内閣府)は2019年度は消費増税があっても1.5%成長ができると主張している。またオオカミ少年がウソを言っているのである。これから実際起こることは、予想をはるかに超えた消費の落ち込みである。トランプが起こした貿易戦争の影響もあるし、オリンピック需要が終わることもある。失われた20年を止めデフレ脱却、インフレ目標達成、景気回復のためには来年の消費増税を撤回し、消費減税を実現し、十分な財政拡大をすることである。

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どうすれば労働生産性が向上するのか(No.308)

6月29日働き方改革法が成立した。失われた20年で日本の発展は止まったまま。これは労働生産性が伸びないからだと政治家は思っているのかも知れない。働き方を変えれば経済は成長するのだろうか。残業時間を減らして少ない時間で同じ生産量が確保できるなら生産性が上がるから成長するのだろうか。しかし、残業時間を減らしたら、給料も減るわけだから可処分所得は減り消費が落ち込み結果としてGDPは減る。

もしもデフレ脱却しGDPを増やしたいなら、残業時間を減らして給料を減らした分を何らかの穴埋めをして可処分所得を増やし消費を伸ばす必要がある。しかし政府がやっていることはその逆で、来年は消費増税を行い可処分所得を減らす政策だ。これに残業代を減らすと労働者にとってはダブルパンチだ。

筆者は1970年代から1980年代にかけて欧米の大学・研究所で素粒子論の研究を行っていた。この頃ドイツのテレビは時々日本経済の特集をやっていた。日本の奇跡の経済復興に注目が集まっていた証拠だろう。テレビでは「日本の会社では驚くほど休みも少なく長時間労働が行われている」という点にスポットが当たっていた。あんなに働けば経済成長もできると言いたいようだった。

1990年代の初めには日本の一人当たりの名目GDPは世界トップレベルだったが今や先進国で最低レベルにまで落ちてしまった。この原因が日本人が勤勉に働かなくなったとか、非効率は働き方になったからだとかと説明する人がいるかもしれない。あるいは生産年齢人口減少が原因と主張する人がいるかもしれない。ご承知のように失われた20年で日本の経済成長は急速に落ち込んだ。名目GDPと生産年齢人口と歳出の伸びを比較してみよう。
              名目GDP   生産年齢人口   歳出
1970年から1980年  327%    109%    492%
1980年から1990年  182%    109%    159%
1990年から2000年  114%    100%    129%
2000年から2010年   97%     94%    106%

GDPの伸びの急激な落ち込みは日本人の勤務態度などほとんど関係ない。この表で分かるように生産年齢人口の減少もほんの僅かであり、とても説明できない。歳出の伸びの急激な落ち込みと関係しているのは明かだ。かつてのように大幅に財政を拡大できるのだろうかと心配する人がいるかもしれない。そんなに心配なら10兆円、20兆円、30兆円・・・と徐々に財政拡大幅を増やしていけばよい。物価の動向を注視し、行き過ぎないよう配慮すればよい。ただし、これまでデフレが続いていたのであり、適正な物価水準を取り戻すにはある程度高めのインフレ率を目指した方が良い。

日本はすでに成熟した経済なのでこれからはそんなに大きく伸びないと決めつけている人もいる。しかし一人当たりの名目GDPを国際比較しても現在の水準は1970年代か1980年代のレベルにまで逆戻りしていて、まだまだ未熟な国家のレベルである。成熟した経済でも成長しないわけではない。1990年頃スイスとルクセンブルグは日本と共に一人当たりのGDPで世界のトップを争っていた。次に示すのは内閣府の国民経済計算報告(昭和30年~平成10年)であり一人当たりの名目GDPにおいて1993年と1994年、日本が世界一であった。

302



2017年になると一人当たりの名目GDPは
日本              38439ドル
スイス             80590ドル
ルクセンブルグ    105803ドル
となっており、間違えた経済政策のお陰で日本はここまで貧乏になってしまった。日本より遥かに成熟したルクセンブルグやスイスも現在でも力強く成長を続けているのであり、経済政策を改めれば日本も今後大いに発展できる。

ルクセンブルグは年率4%~5%で成長している。アルセロール・ミッタルという世界最大の鉄鋼メーカーの本社はルクセンブルグにある。スカイプやeBay、アップルなどを筆頭として数多くのインターネット関連企業が本社機能をルクセンブルグに移転した。ユーロ圏における金融センターとしての役割を果たしている。外国の巨大企業が集まるのは税率が低いことと、様々な言語を話す人材が豊富にいることと、ヨーロッパの中心に位置していることの便利さもメリットとなっている。人口57万人の国に毎日20万人が国境をこえて通勤している。

スイスは物価が高く、高価な時計や医薬品を輸出している。金融機関の秘密性に基づく金融王国「秘密こそが収益」としている。富裕層の個人資産運用に活用されており、世界のオフシュア市場資金の3分の1を握っている。観光業も重要な産業となっている。税金が安く、独仏伊の3言語と英語においてのサービスが可能で企業の立地拠点として魅力であり世界の多国籍巨大企業がスイスに拠点を置く。対外投資収益の巨大な黒字となっていて GDP比では日本の2倍である。1990年代のバブル崩壊後も、金融システムは日本より遥かに健全な状態で維持されたから「失われた20年」を免れた。

スイスもルクセンブルグも歳出を大きく増やし続けているところが日本と異なるところである。日本もこれらの国と同様に歳出を増やし続けていたら発展できたのは間違いない。一時的な景気対策ではなく、計画的な財政拡大策が必要なのである。経済が拡大を始めれば海外の投資家にとっても日本という市場が魅力的になってくる。また外国企業の誘致には法人税を含む減税が必要となる。それに外国語教育も充実させなければならない。AIを使った外国語教育は期待できる。

労働生産性を上げるということは一人当たりの名目GDPを上げることと密接に関係しており、働き方改革だけではないことを忘れてはいけない。

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2018年6月16日 (土)

財政健全化に関し財政の専門家と議論した(No. 307)

2018年6月13日の日経の経済教室に財政健全化に関し畑農鋭矢明大教授の記事が載った。これに関し、筆者は畑農氏に質問をし、議論した。通常経済の専門家は財政危機を煽る発言をするだけで、我々の反論を聞こうとしないが、畑農氏は謙虚な方であり丁寧に応じて下さった。
【畑農】
年利3%に上昇なら利払いは40兆円近くになる。(経済教室の記事)
【小野】
日銀は国債の発行残高の半分近くを保有しており、その利払いは国庫納付金として国庫に返って来ますが、そのことは考慮に入れておられますか。
【畑農】
今回、政府の利払い費として、国民経済計算の「財産所得」支払項目を用いています。
日銀納付金は国民経済計算では「所得・富等に課される経常税」として処理されているようなので、データ処理には反映されていないというのがお答えになります。
2017年度の納付金は総額7000億円程度です。
https://jp.reuters.com/article/boj-results-idJPKCN1IT0ZL
ここから国債利払いに基づく納付金分を切り分けることは難しいのですが、例えば5000億円程度とみましょう。
政府の利払い費10兆円のうち、約半分の5兆円が日銀に渡り、そのうち5000億円が政府に戻ってきていることになります。
少ない金額とは申しませんが、利払い費の大部分を占めるとはとても言えません。
また、時系列の推移↓を見ると、日銀納付金は上下変動が激しく、国債利払いに連動しているとは考えられません。
https://olive.saecanet.com/2016/09/19982014.html
以上を踏まえると、国債利払いが安定的に日銀納付金となって政府に環流するとは考えにくいように思います。
規模から見ても、推移から見ても、利払いが納付金として戻ってくることについては、議論する必要がないとは言いませんが、少なくとも主題にはならないと考えます。
【小野】
国庫納付金が意外と少ないのは、将来発生するであろう損失にそなえて準備金として置いておくのが一つの理由です。この準備金は将来国庫に入る可能性がある資金です。さらに異次元金融緩和期間に買った国債の金利は非常に低くて、金利の高いものは金融機関が持っているからだと思います。金融機関は利子の高いものは自分で保有しておいて、利子の低いものだけ日銀に買ってもらうようにしますよね。今後日銀が根こそぎ買ってしまったら、状況は変わります。
なおFRBの国庫納付金は
2014年  987億ドル
2015年  977億ドル
2016年  915億ドル
2017年  807億ドル
ですから10兆円程度です。
【畑農】
国庫納付金については少し勉強してみます。 情報をありがとうございました。
【畑農】
利払いを含む財政赤字GDP比を目標にすべきだ。(日経の記事での主張)
【小野】
利払いを含む財政赤字GDP比を目標にするより、債務残高のGDP比を目標にしたほうがよいのではないでしょうか。財政赤字が非常に多い国でも債務残高のGDP比は低くなっています。緊縮財政を行う国はGDPが拡大せず債務のGDP比は大きくなっています。つまり利払いを含む財政赤字GDP比を目標にするとデフレが進行し、GDPが縮小するため債務のGDP比は増大すると思いますが如何でしょう。
【畑農】
これは悩ましいところです。記事中でも触れたように、長期では、
債務残高GDP比=財政赤字GDP比/経済成長率
が成り立ちます(%表示ではなく小数表示です)。
経済成長率の想定に異論がなければ、どちらの指標をターゲットにしても理論的には同等です。財政赤字GDP比をターゲットにすると、経済成長率のことも考えなければならないので、債務残高GDP比を目標にする方が指標が単一で分かりやすいというメリットはあります。ちなみに、高い経済成長率を実現できるのであれば、許容される財政赤字GDP比は大きくなり、ご指摘のようなメカニズムは考慮されていると思います。
なお、この理論はケインジアンとして著名なドーマー教授の発案なので、元来は財政赤字を出しても良いという含意が強調されています。
限られた時間の中、メールで上手く返信するのはなかなか大変ですね。
不足や誤解があるかもしれませんがご容赦ください。
私自身も大変勉強になりました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
【小野】
債務残高GDP比=財政赤字GDP比/経済成長率
この式ですが、日本は長い間、成長率はほぼゼロでしたから左辺は無限大ですか。
債務残高GDP比は財政赤字を増やせば、無限大から徐々に下がってくるということで
財政拡大をすれば債務残高GDP比は下がると言ってよいのですか。そうであれば内閣府の試算や日経NEEDSを使った試算結果どおりになりますが。大部分のマクロモデル研究者はそれを認めないですね。
【畑農】
債務残高GDP比=財政赤字GDP比/経済成長率
については、成長率が0だと、許容される財政赤字GDP比も平均して0ということになります。財政拡大の評価は、財政拡大の効果、特に長期的な効果に依存します。短期的に成長率を引き上げるだけではダメで、財政拡大が長期的に成長率を引き上げるのであれば、より大きな財政赤字が許容されると思います。私の現在の認識では、財政拡大により長期の成長率を劇的に引き上げることは難しいだろうと思います。
【小野】
例えば財政赤字をどんどん拡大するとしましょう。インフレになりますよね。
そうすると名目成長率は劇的に引き上げることはできますし、赤字を続けるとすれば長期的に名目成長率を引き上げることは可能だと思いますが如何でしょう。もちろん、実質成長率はどうなるかは別の話です。日本もバブル崩壊前はそれなりのインフレ率があり、成長もしていましたが、バブル崩壊して後デフレになっては成長しなくなりました。私は財政赤字を適切なレベルまで拡大すればデフレは脱却できたし、今でもデフレ脱却は可能だと考えていますが、如何でしょう。
それから過去にインフレが進んだ国、今でもインフレが進んでいる国ですが債務GDP比は
ジンバブエ 78%
アルゼンチン 52%
ベネズエラ  34%
トルコ    28%
など、日本より遥かに低い値です。日本も思い切って財政赤字を拡大すれば債務のGDP比は一気に下落するだろうと考えてますが如何でしょう。終戦直後も一気に下落しました。
【畑農】
一般にインフレになれば、債務GDP比は低下するとは思います。
ただし、それはインフレによって貨幣や国債の価値が相対的に低下し、国民から見た資産(貨幣・>国債)が毀損したからでしょう。
つまり、増税の代わりに(国民の)資産の目減りで(国民に)負担させているに過ぎないと思います。
【小野】
インフレ税という考えですね。高度成長期にはインフレになりました。その間、1ドル360円から1ドル80円まで円高が進みました。貨幣の価値が相対的に上がったわけです。これは製造業で投資が行われ労働生産性を上げた結果でしょう。減税を続けながら税収は増えていきました。
デフレ経済では企業は投資を躊躇し、生産性が上がらず、一人当たりのGDPにおいて日本は国際順位を大きく下げました。税収も上がらなくなりました。
デフレは国民を貧しくするという証拠でしょう。どの国もデフレは絶対に避けますね。
インフレで債務GDP比を下げることができれば、国民は自信を取り戻し、将来不安を
無くし、再び消費が伸びてくるでしょう。それは国民が豊かになるということです。
【畑農】
日本では随分長い間、大きな財政赤字を出してきましたが、デフレのままですね。
財政赤字を拡大すると本当にインフレになるのでしょうか?
物価と財政の関係を表したFTPLなどの議論もありますが、実証的証拠はまだ十分ではありません。
私も十分な答えを持っているわけではありませんが。
【小野】
私はインフレになると思っております。
インフレにならないということであれば、アメリカのように大型減税を日本もやればよいと考えます。インフレにもならないし、国民も生活が豊かになりますしこんなに素晴らしいことはありません。経済学というものは、国民の生活を豊かにするためにあると考えます。
【畑農】
それから、バブル期の高成長は一時的なものと理解しています。
つまり、バブル期の高成長は長期で維持できるものではなかったように思います。
日本では随分長い間、大きな財政赤字を出してきましたが、デフレのままですね。
【小野】
バブル期の高成長は一時的なものだったかもしれません。しかし、60年代、70年代
の高度成長は一時的とは言えません。インフレでしたし、国民は生活が豊かになりつつ
あるとの実感があり将来に希望を持っていました。デフレになってからは生活が貧しく
なりつつあると感じ、将来に不安を抱くようになりました。デフレよりインフレのほうが
よいのではないでしょうか。

内閣府のモデルでも、日経NEEDSでも財政を拡大すると債務のGDP比は下がります。
成長率も上がります。モデルが間違えてますか。
【畑農】
短期的にはその(モデル)通りと思いますが、長期で維持できるとは思いません。
伝統的なケインズ政策は短期的な拡張効果しか持たないと考えています。
逆に言えば、不況期にケインズ政策は依然として有効だと私も思います。
しかし、財政の持続可能性のような長期的課題には無力(場合によっては有害)です。
【小野】
短期的には実証済みと考えるべきでしょう。長期ではどうでしょう。
日本は失われた20年と言われております。諸外国でこのように長期にデフレが続いた例はありません。デフレは短期で終わらせなければならないと誰もが考えているからではないでしょうか。短期でケインズ政策が有効ならば、一気に財政政策でデフレを脱却させたほうがよいと考えております。財政政策を止めればまたデフレに戻るという考えがあるかもしれません。財政拡大政策を止める必要はないのです。どこの国も毎年財政を拡大し続けており、日本もそのような普通の国になればよいだけです。

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2018年6月11日 (月)

デフレ脱却してないのに消費増税はやめましょう(No. 306)

日本経済復活の会は2003年に創設され、様々な活動を行っている。その活動の一つが新聞の1面を使った意見広告である。1回目は2007年10月26日の朝日新聞で「日本はここまで貧乏になった」という見出しだった。当時、マスコミの論調は小泉改革で戦後最長の景気回復になったというものだった。この意見広告で、かつて日本は一人当たりのGDPは世界最高であったのに、小泉内閣の緊縮財政政策で18位にまで落ちてしまったと説明した。これにより、マスコミはこれではいけないという論調へと急変した。2回目は2010年6月22日に読売新聞に「積極財政で財政が健全化する」というタイトルで出した。これは日経の日本経済モデル(NEEDS)を使った分析結果を紹介した。

今回「デフレ脱却してないのに消費増税はやめましょう」というタイトルで3回目の意見広告を出そうとしている。発行部数の多い読売新聞になると思う。7月か8月に出す準備をしている。2014年の消費増税は大失敗だった。折角景気回復が見え始め、失われた20年から遂に脱却できるという時に、消費増税が景気を落ち込ませ、その余波がまだ続いており、デフレ脱却の見通しが立たなくなった。あの消費増税がなかったら、その後の世界の景気回復、原油価格の下落という追い風に乗って日本経済は大きく拡大し、アベノミクスのお陰でデフレ脱却、税収増大、そして財政健全化の達成という歴史に残る快挙が達成されたと考えられる。

あの消費増税の失敗に懲りず、政府はまた来年の10月には8%から10%へ税率を引き上げようとしている。再度景気悪化が目に見えている。普通の国であれば消費増税で特に経済が悪化するようなことはあまりないと言われる。しかし日本は特別であり消費増税で通常の国では考えられないほどの深刻な消費の落ち込みがある。少子高齢化で年金が危ない、国の借金が膨大だから将来大増税があるなどという不安が伴い消費を落ち込ませる。今政府がやるべきは、需要拡大策により毎年収入は増えていくのだと国民が信じるような活発な経済状態に持って行くことである。

現在国会議員の中で我々と同じ方向性の議員グループが2つあり、これらの会と新聞の意見広告が何らかの連携が取れないか現在模索中である。
(1)日本の未来を考える勉強会:代表安藤裕
政府に対して財政政策に関する提言をした。提言は同党の衆議院3回生議員(約100名)のうち28人の連名で、消費増税の当面の凍結と2019年経済危機を乗り越えるための20~30兆円規模の景気対策を求めた。
(2)故郷を支援する参議院の会:会長吉田博美、事務局長西田昌司
自民党の西田昌司参議院議員らのグループ約100人は財政再建より20~30兆円の基盤強化投資を積極的に行い、経済成長を重視する政策を提唱している。
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日本経済復活の会では、この新聞の意見広告を出すために、同じ考えを持つ方々に寄付をお願いしています。出稿料は配布する範囲によりますが、首都圏版であれば200万円程度になります。日本経済を救うために、是非ご協力をお願いします。
【寄付金の振り込み先】
みずほ銀行 動坂支店 普通預金 8027416
日本経済復活の会 代表 小野盛司

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2018年5月26日 (土)

AIに善悪の判断を教える方法(No.305)

(1)AIに何を期待するか
最近自動運転車の話題が多くなった。人間は時々間違いを冒す。脇見運転、酔っ払い運転、アクセルとブレーキの踏み間違い、安全不確認等があり、無免許運転もある。このような人為的ミスは事故のうちの9割を占めており、自動運転車なら事故は10分の1に減ると言われている。国の経済政策も間違いだらけだ。日本はバブルの前には奇跡的な経済復興と言われていて「ジャパンアズナンバーワン」つまり日本が世界一になるとまで言われていたが、政府・日銀が徹底的なバブル潰しを行った結果経済成長率が世界最低にまで落ちてしまった。これも景気へのブレーキとアクセルの踏み間違いにすぎない。経済政策をAIに任せることが出来ていたら高成長が続いていたと考えられ大変残念である。しかし、世界一の低成長がこのまま続いてしまうのは悲惨であり、せめて普通の国並の成長率にするにはどうすればよいのか、AIに何を教えれば良いのかを検討することにする。

(2)善悪の基準と進化

AIが発達してくると、やがてAIに善悪の判断の基準を教えてやらなければならない時代が来る。それは個人によっても、国によっても変わるし、時代が変わると変化してくる。しかし、進化論から出発するなら、善悪の判断を明確にできる。ここではこの事を説明する。最近鄭雄一氏が『東大教授が挑む AIに「善悪の判断」を教える方法』を出版した。彼は古今東西の倫理・道徳から「人間の善悪」の基準を導き出そうとしている。しかしながら、AIが人間の仕事を奪う時代の倫理・道徳は古い時代のものとは全く異なるのであり、鄭雄一氏の試みは不完全なものに終わるであろう。進化論に基づいた理論でAIに善悪の基準を教える方法は小野盛司(1999)、小野盛司(2005)で示されている。

人間はサルから進化した動物である。人間の体のあらゆる部分や人間の行動は、人間が子孫を残し人類が生き延びるために都合がよいようにできている。非常に長い時間をかけ自然淘汰により『改良』が重ねられてきた。手足、脳、心臓、肺、胃、腸、生殖器などあらゆる部分は子孫を残すのに都合のよいようにできている。ただし自己保存も子孫を残すためと考える。生き延びるためのほんの少しの違いが決定的な違いになる。例えばネアンデルタールは喉の奥が短いため、文節言語を発声する能力が低くコミュニケーションがうまくできなかったためにヒトのように生き延びられなかったといわれている。

人間の行動も「子孫を残すために」最適化されている。進化の結果そのような動物だけが選ばれて生き残ったわけである。かつて動物は種の保存のために行動すると考えられていたが、それに反する事例が次々見つかった。進化は、特定の行動を引き起こす遺伝子が増える事によって引き起こされる。自分の遺伝子をできるだけ多く残すように行動した結果特定の遺伝子を持つ個体が増加するする。つまり人間の行動は「自分の遺伝子を残すために」最適化されているのだが、その結果「人間は子孫を残すために行動している」あるいは「人間の生きる目的は子孫を残すため」と言っても差し支えない。子孫を残すということと種の保存は意味としてかなり近い。人間の行動は快不快、幸不幸により支配されている。つまり子孫の残すために好都合な行動は快感であり、幸福を感じ頻繁に引き起こされ、不都合な場合は不快であり、不幸と感じ避けようとする。

この事を次のように表現しよう。人間の行動を支配しているのはディスクリミネータという判定機であり、子孫を残すために良いならプラスとなり、悪いならマイナスになる。快感、美しい、美味しい、幸福という状態はプラス、醜い、まずい、不快、苦痛、不幸の状態はマイナスであり、将来的に善悪の定量的分析が可能になる。

我々が気付かないうちに、我々はこのディスクリミネータに思想も行動も完全に支配されている。例えば「動物を人間の食料にする」ということは、全く自然に受け入れられ日常普通に行われていることである。それではその逆はどうだろう。つまり
「人肉を動物の餌にする」
ということになる。もちろんあなたはそのような考えを持ったことがないだろう。またそんな考えを持った人の話は聞いたことがない。数学者であれば、どの命題であってもその逆を自由に考えることができる。しかしどんなに自由に思想を展開できると思っている人でもこんなぶっそうな思想を持つことはできない。「人肉を動物の餌にしよう」という考えはどんな凶悪な殺人犯の心の片隅にすら思いつかないことである。このことから、いかにディスクリミネータによる思想統制が強烈であるかが分かる。

「なぜ人を殺してはいけないか」は子孫を残すため、あるいは種の保存を考えれば当然だ。「戦争ではなぜ人を殺してもよいのか」という問いに対しては、太古の時代人間は縄張りを持って数十人単位のムラで暮らしていた。食糧難になったとき、隣のムラから食糧を取って来なければ生き延びられなかった。この時はムラ人が協力して隣のムラと戦うしか無く、隣のムラの人を殺すことは善ということとなった。このような戦いを繰り返すことにより、人間は協調性を獲得した。ネアンデルタールとの戦いでコミュニケーション能力のすぐれたホモサピエンスが勝ったとも考えられ、仲間のための行動が進化したと考えられる。ただし核兵器が開発されて以降、核戦争には勝者はいないことを人類は知った。それ故に、戦争は絶対悪となった。ただし通常兵器による小規模な戦争は無くなっていない。

(3)人間の思想と行動を支配するディスクリミネータ

人間の行動はすべてがディスクリミネータによって支配されており、ディスクリミネータは子孫保存・種の保存という意味で合目的に作られているということは、筆者は『人間の行動と進化論』という本の中で詳しく述べたので、ここではそのごく一部のみを紹介しよう。
では芸術は、子孫保存・種の保存とどのように関係しているのだろう。芸術作品の代表的なものを見てみよう。ミロのヴィーナスはどうであろう。これは裸体の女性であり性欲を引き起こすものだから、生殖のための行動を誘発するもの(ディスクリミネータ)があってそれが女体を見たときに美しいという信号を脳に送る。
さてミロのヴィーナスを見て美しいを感じる事に話しを戻そう。ディスクリミネータがプラスになったことと、子孫保存・種の保存との関係は明らかだ。実際絵画、彫刻に女性の裸体は非常に多いことは、女性が男性を引き付けることが極めて子孫を残すに重要であることに対応している。映画、音楽、彫刻、絵画など一般に何らかで子孫保存・種の保存と関連はしていると思われるが、直接に子孫保存・種の保存に役立っているわけでなく、むしろ人為的にディスクリミネータをプラスにしているわけであり、それが目的化している。

ディスクリミネータの目的化は悪いことと思ってはならない。人は子孫保存・種の保存とは無関係にディスクリミネータをプラスにする方法を多数発見した。言い換えると「ディスクリミネータを人為的にプラスにする」方法である。これをディスクリミネータの空作動(カラサドウ)と呼ぼう。
ディスクリミネータの作動状態は次の四つに分類できる。

1.正常作動・・・子孫保存・種の保存にとって益になるときがプラス、害になるときがマイナ
スという本来のディスクリミネータに従った作動をする状態
2.空作動 ・・・子孫保存・種の保存には益にも害にもならないが、人為的な方法等によりデ
ィスクリミネータをプラスにする状態
3.作動抑止・・・子孫保存・種の保存にとって害にならないのにマイナスになっている場合、
それを人為的な方法で消す状態
4.異常作動・・・子孫保存・種の保存にとっては害になるのにディスクリミネータがプラスに
         なるとき、または種の保存に益になっているのにディスクリミネータがマイ
ナスになる状態

本物の女性を見て美しいと感じるのは正常作動、ミロのヴィーナスを見て美しいと感じるのが空作動である。歯医者で治療を受けているとき痛みを感じる。歯の治療は子孫保存(自己保存)に益になる。しかしそれでもディスクリミネータはマイナスになるから異常作動。これに対し、心理療法とか麻酔で痛みを和らげたり、止めたりするのが作動抑止である。自殺しそうな人やひどく落ち込んだ人を励ますのも作動抑止である。宗教活動にはこういった事がよく行われている。カウンセリングも作動抑止である。

ドーキンスなど、進化生物学者は全ての生物は『自分の遺伝子を残すために行動』するのであって、『種の保存』のためではないと主張する。ドーキンスなどの生物学者は、生物は種の保存のための行動など行うことはないとまで言い、一般の人の混乱と誤解を招く。これが進化論にとっての革命とでも言いたいのだろうが、実際は『自分の遺伝子を残すために行動』(これは自分の子孫を残すということだ)と『種の保存』ということは、かなり近い意味になっていて、一般の人で、どこが違うのかを言うことができる人は少ないだろう。ドーキンスは利他行動は進化しないと言っているが、実際は進化するということが、筆者を含む三人の研究者により示された(小野、三沢、辻(2003))。ドーキンス達は、利他行動とは自分の遺伝子を残すためには害になるが、他人が遺伝子を残すためには益になるというものと定義している。このように定義しても、利他行動の進化は可能というのが筆者達が示したことだが、実際は、利他行動(協力行動)のほとんどは、自分の子供を育てるには害にならないが、他人には益になるような行動だ。ドーキンスの定義する利他行動とは、自分が子孫を残すのが不可能にしてまで(例えば自分が死んでまでして)、他人に利益を与える行動だ。確かに、そんな行動を取る人は滅多にいないし、本能的に人間がそのような行動を取るとは思えない。だからと言って、人間は種の保存の行動を取ることはないと言うのは言い過ぎだ。

(4)ディスクリミネータの解放
我々の社会はゆとりがでてくるにつれ、できるだけ多くの人のディスクリミネータのプラスが大きくなるように、そしてマイナスを避けるように様々な工夫をしている。このように、子孫保存・種の保存を達成しながらディスクリミネータを上昇させるよう社会を変えることを「ディスクリミネータの解放」と呼ぼう。
誰も現代の社会がどちらの方向に向かって変化しているか気が付いていない。人類は数百万年もの間、ぎりぎりで子孫保存・種の保存が達成できる状態だった。こういう時代には、苦痛に耐える(ディスクリミネータが強くマイナスになるような)行動も敢えて取らざるを得なくなるのだ。例えば人口が増えすぎたり、干ばつ等で食糧が不足したときなど、人は口減らし目的で生まれた赤ん坊や働けない老人を殺したりした。
ところが子孫保存・種の保存が容易に達成できるようになり、物があふれゆとりがでてきた現代においては、ディスクリミネータがマイナスになるような行動は徹底して排除し、できるだけディスクリミネータを上げるように工夫し始めたのだ。要するに快を求め不快を避けるということだ。これがディスクリミネータの解放であり、それに合わせて法律を制定し、犯罪や善悪を定義し、道徳・倫理を定めた。どのように行動を取るべしと法律等を定めるとき、実は無意識のうちにディスクリミネータ解放の方針で行われていることがほとんどである。逆に言えば、今後新しい法律を考えるとき、そしてAIに善悪を教えるときはディスクリミネータの解放の意味を充分理解しておくべきである。

ディスクリミネータの解放の例
○[プラスにする](空作動が多く混じっている)
奴隷解放
人種差別撤廃
男女平等
身分制度撤廃
社会福祉の充実
労働時間が短縮され娯楽に使う時間が増える。
強制された労働でなく自分に適し楽しめる労働をするようになる。
レジャー施設の充実
旅行の増加
趣味が多様化し各自自分に合った楽しみ方をする。
性の解放
女性解放
風俗産業等の性欲を利用したレジャーが盛んになる。
食を楽しむ。
○[マイナスを防ぐ](作動抑止)
医学の発達により病気や手術の痛みを和らげ、苦しまなくても済むようになる。
法律を定め犯罪を防ぐ
セクハラ防止
公害問題の改善
戦後制定された労働三法は、労働者の権利を拡大し労働者の苦しみを和らげる働きをする。
戦後制定された憲法も基本的人権を認め、個人の苦しみを和らげる働きをしている。
離婚の増加(結婚生活による行動の制限の解除)
カウンセリングが盛んになる
現代のようにゆとりのある社会では、人間全体が利他的でなればなるほど、様々な作業の分業化が可能となり子孫保存・種の保存が容易に、そして生活が快適(ディスクリミネータがプラス)になる。つまりディスクリミネータの解放のためには、利己を押さえ利他を奨励することが重要である。セクハラの場合のディスクリミネータは男性はプラス、女性はマイナスだ。だんだんゆとりが出てきた社会では、男性の性的快感は風俗で満たせばよいではないかということで、セクハラを禁止する。奴隷制度も奴隷を使わなくても機械化で十分ということになり、奴隷は禁止された。つまり時代の流れはディスクリミネータのマイナスを少しでも無くそうという方向である。

(5)善悪の基準
 未来社会はどのような経済システムが良いのかを考えるときは、善悪の基準は何なのかから出発する必要がでてくる。昔、食糧が足りなかった頃の物語では老女を山に捨てに行く。働けなくなった老人を山に捨てなければ子供に充分な食事を与えることができない。だから老女を山に捨てることはよいことということになっていた。働けなくなった老婆を山に運び自殺を助けようとした物語である。老女を山に捨てることが子孫保存・種の保存にとって好都合だから、これが良いこととなっていた。しかしこの物語では最後には老婆を連れ帰る。口減らしが必要な時代から不必要な時代への変遷を描写する内容になっている。食糧がだんだん豊富になってきたのだからもう口減らしで老人を捨てるという習慣は止めようと呼びかけているのである。つまり、食糧が豊富になることにより、老人を山に捨てることが善から悪へと変化する。
 例えばシジュウカラは、夜明けから日没まで餌を探し回らなければならず、一日に1000匹以上の虫を、巣に持ち帰らなければヒナを育てることができない。一日のほとんどすべての行動が子孫保存・種の保存のためのものになっている。
 人間の未来社会は、それとは対照的に機械化・ロボット化が進み食糧集めの仕事は人間にとってほとんど必要なくなる。そのようなときに人は何をするのか。それが貴族の生活であり、ディスクリミネータの空作動又はディスクリミネータの解放と表現した行動である。もともとディスクリミネータは子孫保存・種の保存のための判定装置のようなものであったのだが、それが目的化し、それを人工的にプラスにするよう、またマイナスになるのを防ぐように行動する。この多くは子孫保存・種の保存とは無関係な行動だが、それが目的化したために、善悪の基準もディスクリミネータのプラスマイナスで決まるようになる。つまり、ディスクリミネータをプラスにすることが善であり、マイナスにすることが悪となる。もちろん、子孫保存・種の保存に益になることは善、害になることは悪であることには変わりはない。しかし、ゆとりの時代においては子孫保存・種の保存には、益にも害にもならないが、ディスクリミネータのプラス、マイナスには関係するという場合は、プラスが善、マイナスが悪となる。つまりこの判定装置をあらゆる方法で人為的にプラスにしようとしているのだ。
 例えば未来社会ではスポーツが盛んになるだろうし、そうすべきである。何のためにスポーツをするのか。例えば野球。ボールを投げる。これが快感となるのは太古の時代の人間にとって投石は獲物獲得の一手段だったから。バットを振り回す。これも快感だ。なぜならその頃はこん棒で殴り殺して獲物を獲得することもできた時代であったからだ。それに対し現代は石を投げたりこん棒を振り回しても、直接食糧の確保になるわけでないが、今もその頃の名残りでディスクリミネータがプラスになる。その他殴ったり蹴ったり速く走ったり獲物を取るためには様々な能力が必要になってきて、自分の能力を伸ばしたいといつも思っていただろう。それは直接食料の確保につながり、身を守る武器になったのだから。当然ディスクリミネータもそれらの能力を伸ばすことができればプラスとなる。それに加えて闘争本能も利用している。その空作動を利用したのがスポーツの持つ意味である。他のスポーツでもほぼ同様の意味を持っているし、それを観戦するのも同様である。だから、スポーツを楽しむことはディスクリミネータの空作動を起こさせるという意味で『よいこと』ということになる。もちろん健康によいとか、筋肉を強化すると仕事の効率が上がるという面もあり、正常作動の面もある。
 未来社会では生活にゆとりがでてくるから、郊外に出て大きな家を建てる人が多くなる。その大きな家のよく手入れされた庭には池があり澄んだ水が流れ込んでいて、その中に大きなコイが泳いでいる。こんな住居での生活は現在の、ごくありふれた人のひそかな願望であり、現在は豪邸とよばれる家に、未来社会では多くの人が住むことのできるようになる。どうしてこんな庭が欲しいのであろうか。現代、あるいは未来の豊かな時代にはその意味が解らなくなっているのだが、人間は太古の時代、狩猟生活をしていた。古代人は食糧を探して毎日野山を歩き回っていただろう。そのときこの庭のような場所を発見したときの喜びを想像するとよい。澄んだ水は喉の渇きをいやすことができる。大きなコイの発見は貴重な食料の発見なのだ。
 しかしこのような解釈にあなたは反論するかもしれない。飲み水は水道水で十分だし、大きな魚も魚屋かスーパーに行けば十分だ。池の水は飲料水ではないし、庭のコイは食べるためではない。あくまで観賞用だと。
もちろんあなたは正しい。これは観賞用だ。しかしこれを見てよい気分になる、つまりディスクリミネータが正になるのは、古代人が狩猟生活を送っていたころの名残りであり、生まれながらにしてそのようなディスクリミネータを我々は持っているのである。その頃、自然選択の原理により子孫保存・種の保存のために作られたディスクリミネータがそのまま残っていて、現代人の生活形態を支配している。すべての人は無意識のうちに、このディスクリミネータに行動を支配されているから、このような庭がある家に住みたがる。無意識と言ったのは、意識の中にこのような場所を探し回っていたという記憶も経験も無いからだ。古代人が獲得したディスクリミネータは済んだ水を持つ池(飲めるから綺麗と感じる)がプラスと反応し、その中で動いている魚(食べられるから綺麗と感じる)もプラスと反応する。これらのものが目に留まると注意して観察するようにディスクリミネータが命ずるようにできている。
 子孫保存・種の保存のためだけなら、こんな家に住まなくてもよいかもしれないが、ディスクリミネータをプラスにするという目的なら、こうした家に住むことは良いということになる。このように「贅沢をする」ということは、ディスクリミネータの空作動でありディスクリミネータの解放でもあり良いことだ。
必要な物が豊富に供給されるゆとりの時代においては、人間は利己的な行動を制限もしくは禁止し利他的な行動を取った方が、より子孫保存・種の保存の達成を容易にし、多くの人が快適に住める(ディスクリミネータをプラスにできる)ことを知っている。だから利他的行動は善、利己的行動は悪と定義されることが多い。これは現代に生きる人間の特殊事情による定義であり、決してどんな動物にも当てはまると思ってはならない。すでに述べたように一般に利他的な行動は進化しづらいし、実際多くの動物は人間より利己的である。

(6)AI/ロボットに善悪を教えるには
 人間社会において善悪の基準は徐々に変化する。AI/ロボットに何が善で何が悪かを、どうやって教えればよいかが問題になる。しかし、人間の生きる目的が、子孫を残し人類という種を保存することであることは、未来永劫変化しない。ロボットは自分自身を保存するのではなく、あくまで人間を助けるのだと教えればよい。ロボットは、場合によっては、自己を犠牲にしてまで人間を救うことが善であることを理解させる。
 もう一つ教えなければならないのは、「ディスクリミネータの解放」の意味だ。現代において、人間は種の保存の達成が余りにも容易に達成されてしまうので、「ディスクリミネータの解放」ということが重視されてきている。人間は快を求め、あるいは幸福になるために(ディスクリミネータをプラスにするために)生きている。これが目的化されるようになってきた。だから、どういう行動に対し、ディスクリミネータがプラスになり、どういう行動に対し、それがマイナスになるかを覚えさせねばならない。それにより、ロボットは様々なシチュエーションで善悪を、正確に判断できるようになる。そのためには、快不快をどのようなときにどのような強度で感じるか、また幸不幸だと思うのはどのようなときで、それはどの程度かについて膨大なアンケート調査を行うべきである。それには無作為抽出された数多くの標本が必要となり、それはビッグデータとして保存し利用されなければならないし、その結果は数値としてクラウドに乗せる必要がある。しかも時代により刻々と変化するわけなので常に調査は続ける必要がある。
 ロボットに人間と同じようなディスクリミネータを持たせるというのは、一つのアイディアである。そうすれば、ロボットも人間と同じような「感情」を持つようになり、より親しみが湧いてくる。但し、あくまでロボットは人間に仕える立場にあることは、はっきりしておかねばならない。つまり、ロボットは人間のディスクリミネータの解放を助けるために作られるのである。人間対人間の場合、利害が対立することはある。例えば、自分の家でピアノを練習すれば、隣がうるさいと感じるかもしれない。しかし、ロボットと、その所有者の場合は、利害の対立はありえない。ロボットの所有者は、第三の手を持ったようなものだ。自分の願望を正確に実現してくれるように、ロボットをセットすればよいだけだ。究極には、人間のディスクリミネータを正確に読みとり、それをロボットに記憶させ、主人のディスクリミネータをプラスにするにはどうすればよいのかを分析して行動するようになれば、完璧なロボットになる。

(7)日銀も銀行も財務省もAI/ロボットが代行したら

非常に単純な話だが、インフレ率がインフレ目標を下回ったら積極財政、上回ったら緊縮財政を行うだけで、日本経済はデフレ脱却、景気回復し経済は飛躍的に活性化し失われた20年からの脱却が可能になる。AIを使う必要もなく、小学生でも分かる簡単なことだ。馬鹿な政治家の主張を無視すればよいだけだ。AIを使えば更に高度な政策運営が可能だ。
未来の世界ではAIが人間の快不快、幸不幸に関するデータを経済財政政策に利用することができるようになる。それにより政策の善し悪しが計算できるようになる。国民を豊かに幸福にすることが政府日銀の役割である。貧困は人を不幸にする。格差が拡大し過ぎても貧困世帯を増やす事になり、不幸な人を増やすことになる。格差が全く無くなれば、働いても働かなくても同じなら多くの人は労働意欲を失う。AIならビッグデータを利用しどうすればよいか計算で求めることが出来る。それには経済学者が協力してモデルを作る必要がある。複数のモデルを作らせ、競わせ、どのモデルが最も過去のデータを再現できるかで優劣を決め、最も高い評価を得たモデルをAIに教える。そのうちAIが更に優れたモデルを考案する可能性も出てくる。

人工知能の発達は素晴らしい。チェスや将棋のみならず囲碁でも人間を上回った。一方ではかつて驚異的な経済発展をしてきた日本経済は、馬鹿な政治家の間違った政策により、一気に世界一発展しない国に成り下がってしまった。筆者の提案は政府・日銀を人工知能に置きかえてしまうことである。その方が人間よりはるかに正しい政策を打ち出すから。
世界一豊かな国になりつつあった日本経済を、不況のどん底に落としたのが1990年頃から始まったバブル潰しだ。馬鹿な政治家は、当時高騰を続けていた地価を半分に引き下げれば、国民は2倍の土地を買えるだろうと考えた。しかし、領土の面積は一定なのだから、日本人一人当たりが所有できる面積の平均は37万k㎡を人口で割った面積であって、地価には関係ない。政府は総量規制を行い融資に枠をかけ更に1990年には公定歩合を6%に上げ土地を買いにくくした。カネがなければマイホームは買えないから土地は下がった。マイホームの値段は下がったが、新築住宅着工件数は下がっていったから本来の目的とは逆の結果となった。
バブル潰しのお陰で深刻なデフレ不況に陥り現在に至るまでデフレ脱却はできていない。その間何度も景気対策は打たれているが、いずれも規模が小さすぎデフレ脱却は実現していない。現在の日経平均株価は1989年の38915円よりずっと低い。デフレ脱却できていないのに消費税増税をする。これも馬鹿な話だ。デフレ脱却をしたいなら当然増税でなく減税だ。
もし政府・日銀がAIであったら、地価を半分に下げようなどという暴挙は行うわけがない。バブル崩壊は不良債権を発生させ経済に深刻なダメージを与えるのだから、AIなら崩壊しないよう、ソフトランディングを試みるだろう。不況になりそうなら直ちに金利を下げ、強力な経済対策を行っただろう。経済対策が十分でないと判断されれば、十分景気が回復するまで追加の対策を次々打ち出しただろう。「経済対策は有効でないのかもしれない」などと迷うことはあり得ない。AIは過去の膨大な経済データを記憶しており、どの規模の経済対策がどれだけ効くかを完璧に定量的に理解しているからだ。
AIは「国の借金」とか「財政規律」とか「プライマリーバランス」とかに縛られることなく、どうやって経済を発展させ国民を幸福にするかということに集中する。通貨発行権を有する国だからデフレ脱却にはこの権利を行使すればよいだけだ。なぜ今までこの権利を行使しなかったかと聞くと、「一度行使すると歯止めが掛からなくなるから財政規律を守らなければならないのだ」と答えが帰って来る。しかしそれは人間が財政政策、金融政策を行った場合のことだ。AIが取って代わればそれはあり得ない。AIは必ず国民を最も豊かに、幸福にする方法を選択する。1997年度の日本のGDPは533兆円であったが2017年度はまだ550兆円にすぎない。AIに経済政策を任せていたら3%成長は容易に達することが出来ていたはずで、その場合2017年度のGDPは963兆円に達していただろうし国民の給料もほぼ倍増していただろう。

もちろん、どの国でも通貨発行をすれば金持ちになれるわけではなく、インフレで悩む国であれば、単にインフレ率を更に高めるだけでありメリットはない。しかし長期のデフレに悩まされる日本には通貨発行は値千金なのである。

AIが代行した日銀は国債の購入を更に進め、事実上国の借金は日銀が刷ったお金で返済する。その後必要に応じて国債の日銀引受が行われるようになる。これは人間が行えば歯止めが掛からなくなるという理由で禁止されていたが、AIにはその心配は無用である。景気が過熱したときは、金利を上げることもできるが、増税もすることもできる。景気過熱なら税収が増え財政黒字にさえなることもある。その場合は政府が余った財源で日銀保有の国債を買い戻すこともできる。国債の日銀引受のメリットは間に金融機関を入れることによる中間手数料が必要なくなることである。このとき金融機関の経営は苦しくなるが、フィンテックの進歩により人は現金を使わなくなり、ATMも必要無くなるから、いずれにせよ銀行の役割は大幅に縮小する。融資もAIが代行できるから銀行は行員を大幅削減し、貴重な人材は他の分野に回す事になる。

ディスクリミネータの解放という観点から経済改革を進めるAIは、「貧困からの解放」から始めるだろう。カネ不足の日本に通貨増発によるカネを配るとき、富裕層に配ってもそれほど大きな喜びを与えないが、貧困層に配ると値千金である。物余りの現代でも生活苦の人が多数いる。例えば2017年に生活苦で3464人の人が自殺した。日本国内で本来食べられるのに捨てている「食品ロス」は500万~800万トンもある。生活保護世帯は1995年には60万世帯だったものが、2017年2月現在163万世帯にまで増加し全体の1.69%である。生活保護費は総額3.7兆円であり政府は更にこれを削減しようとしている。1年を通じて勤務し給与が100万円以下の労働者数が400万人を超えた。AIであれば増発された通貨を使い国民を幸福にする最適な方法を提案してくれ困窮する世帯に大きな喜びを与えるだろう。

(8)「通貨増発=悪」という考えが日本の未来を地獄にする

「働かざる者食うべからず」という労働に関する慣用句がある。更にオックスフォード大学と野村総研の研究では10~20年後には日本の約49%の職業はAI/ロボットで代替可能だという。数十年後、大部分の職業がAI/ロボットに取って代わるとすれば人は失職する。ということは人は働かざる者ということになり「人は食うべからず」ということになる。それは地獄の世界だ。しかしAI/ロボットが人間が欲しい物を必要なだけ生産するのであれば、人間に適量のお金が渡されていれば、ほぼ無制限供給の社会が実現し、人間は嫌な労働から解放され、自分がやりたいことを自由にやれることになり、まさに貴族の生活が実現する。そのためには次の2つの事を容認しなければならない。
(1)政府による通貨増発は善とする。
(2)政府が発行した通貨が循環するシステムをつくる。

かつて奇跡的経済復興で世界で最も豊かな国であった日本が、バブルを崩壊させ世界で最も成長しない国へと没落してしまったのは「通貨増発=悪」だと国民が信じてしまったからである。「通貨増発=善」だと国民が思うようになれば、増発された通貨で国の借金を買い取り、増発された通貨で財政を拡大し、デフレから脱却・インフレ目標達成・景気拡大で再び経済成長が始まる。財政拡大で非効率な分野をAI/ロボット化し生産性を向上させ、余った労働者を生産性の高い分野に振り分ける。

ただしこの作業を繰り返すうちに、AI/ロボット化を進める巨大独占企業へとお金が流れ続ける。この巨大企業もAI/ロボット化が進み人を雇わないから巨額なお金は経営者だけに流れ蓄積する。それが余りに巨額であるためその経営者は何にお金を使ったらよいのか分からなくなる。そこでそのお金を国民に流す仕組みを作る必要がある。これはどんな偉大な経済学者も予想しなかった世界であり、小野盛司(2005)にはどのようなシステムが可能かを議論してある。つぎのような可能性がある。
(1)法人税として吸い上げる
(2)国がその会社の多くの株を買い、配当等で吸い上げる

参考文献
(1)小野盛司 「人間の行動と進化論―ドーキンスの利己的遺伝子説の限界とその改良―」ナビ出版(1999)
(2)小野盛司「ロボット ウィズ アス 労働はロボットに人間は貴族に」ナビ出版(2005)
(3)小野、三沢、辻(2003)Ono S, Misawa K, Tsuji K: Effect of group selection on the evolution of altruistic behavior. J Theor Biol; 2003 Jan 7;220(1):55-66 . PMID: 12453450.

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2018年5月25日 (金)

トランプのドタキャンと北朝鮮の低姿勢は予想したとおり(No.304)

トランプ氏は、米朝会談中止を北朝鮮に通知し、それに対し北朝鮮の対応は低姿勢だった。これらの展開は多くの評論家には予想外だったようだが、筆者にとっては予想した通りだった。その理由は筆者がこれまで述べてきたことを読めば理解できる。
http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/post-d2fa.html
http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/no260-4b7c.html

要するにアメリカと北朝鮮では圧倒的な軍事力の差がある。核戦争であろうと、通常兵器の戦争であろうと、戦争すればアメリカが圧勝し、金正恩は殺害されるのである。核を持てば誰も攻めてこないというのは金正恩の幻想に過ぎない。幻想でなかったとしても、アメリカに武力攻撃するぞと言われれば底知れぬ恐怖を感じるに違いない。実際武力攻撃しなくても、口撃だけでも十分だ。金正恩は自分の命が惜しい。だから助けてくれと命乞いに中国に行った。あわよくば核廃棄のふりをするだけで経済援助が得られるかもしれないと思っただろう。

今トランプ氏に必要とされるのは絶え間ない武力攻撃の脅しだ。金正恩はそれに屈し米朝首脳会談に応じることとなった。3人の米国人も返し、核実験場の爆破もやった。ここまでやれば何か見返りがあるだろうと金正恩は考えたに違いない。しかし、今トランプ氏には見返りを与える必要は全く無い。核全面廃棄に向けてアメリカが引いたレールから少しでも外れようものなら直ちに交渉中止を宣言し武力攻撃の脅しをかければ良い。

金正恩にとっては恐怖がどんどん増してくる。米国人3人を返し、核実験場の爆破までしたのに、交渉が中断するようなことがあれば、これまで恐怖政治に怯えてきた軍人、国民の怒りは頂点に達するだろう。もう金正恩は退路を断ったのだ。これからはトランプ氏の言いなりになってトランプに体制維持をしてもらうしかない。逆にトランプ氏は下手な妥協は禁物であり、核完全放棄までのスケジュールを全面的に金正恩が受け入れるまで脅し続ければ良い。金正恩は強がりを言うこともあるかもしれないが、もはや蛇ににらまれたカエルだ。もちろんアメリカがどうやって恐怖政治を続けてきた金正恩独裁体制を維持させることができるのか疑問が残るのだが。

首脳会議のキャンセルをトランプが宣言した後、慌てた金正恩は身の危険を感じ急に低姿勢になり急遽南北首脳会談を行った。命乞いだ。米韓軍事演習にツベコベ言ったり、韓国から米軍撤退を要求したりしている時ではない。命さえ助けてもらえるなら何でもありだ。トランプ氏も金正恩のこの態度に理解をしたのだろう。首脳会談の復活を示唆している。 サンダース大統領報道官は5月26日、「米朝首脳会談の開催に向けたホワイトハウスの先遣隊を(当初の)予定通りシンガポールに派遣する」と述べた。米メディアによると、先遣隊は27日にも出発する。要するに「首脳会談のキャンセル」は単なる脅しに過ぎず、オレにたてつけば軍事攻撃だぞと脅しているのだ。今後もこの脅しは何度も使うだろうし、金正恩が何も逆らえない状況に追い込むに違いない。

 

 

 

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2018年5月16日 (水)

「国債が紙くずになる日」が来ると言う原真人氏(朝日新聞)に公開質問状(No. 303)

5月16日の朝日新聞で原真人氏は「財政破綻 国債が紙くずになる日」というタイトルで論説を書いている。原氏に質問をする。
【質問1】
1982年に鈴木善幸内閣が財政非常事態宣言を出して以来、うんざりするほど財政破綻の話を聞きました。しかし財政破綻どころか金利が下がる(つまり国債の価格が上昇)一方でさっぱり財政が破綻しそうもありません。さすがここまで予測が外れると正常な感覚の人であればウソを言ってしまったことに自責の念が高まり、財政破綻を口走るのに躊躇し国債暴落説は激減しました。原氏に質問したい。これまで何百回も国債暴落説を聞いたが明らかに間違いだったと思うが認めますか。これは単なる間違いで済ませる問題ではありません。国債暴落説は日本人に底知れぬ不安をかき立て消費を減退させ投資を控えさせ、日本経済を衰退させ、財政を悪化させたことをお認めになりますか。原氏の国債紙くず説は将来不安を再び起こさせるものであることを認識されているのでしょうか。

【質問2】
財務省のホームページには外国格付け会社宛意見書要旨
https://www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140430.htm
が掲載されており、自国通貨建て国債のデフォルトはあり得ないと断言してあります。これについて反論がありますか。

【質問3】
どうやれば財政が破綻するのでしょうか。それは国債を買う人がいなくなれば政府が財政資金を調達する方法が無くなり財政破綻する。しかし金融機関は国債を買いたくてたまらない。どんなに高く買っても、日銀が更に高い値段で買ってくれるので何の努力をしなくても稼げるのです。いわゆる日銀トレードと言われています。日銀はもともと国債保有残高を年間80兆円増やすということで異次元金融緩和を始めましたが、国債の極端な品不足のため買い入れペースを大幅に落としています。インフレ目標達成という見地からは日銀はもっと買い入れを増やしたい。需要と供給の関係から言えば需要が供給を大幅に上回っており、政府が発行する国債が売れなくなる可能性も財政破綻の確率もゼロですが同意されますか。

【質問4】
原氏の言う通り国債が紙くずになるとしましょう。通貨発行権を持つ国が国債の償還に応じないわけがありません。だから償還期限がくれば100%元本は戻ってくるのであり、国債が完全に無価値になるわけがありません。国債の価値が史上最高である現在、国債が無価値になると予測するほど馬鹿げた話はないと思いませんか。言ってみれば「近いうちにダイヤモンドが無価値になる」と予言すると同じくらい非現実的な予言でしょう。ハイパーインフレになれば国債の価値は大きく下落します。しかしどうやれば今の日本でハイパーインフレになるのか説明して下さい。なにしろ黒田日銀総裁は2%のインフレ目標を達成しようと、なりふり構わず異次元の金融緩和をしましたが一向に2%のインフレ目標に達成する見込みが立たず、6回も達成時期を延期したのち、とうとう達成時期を削除しました。原氏はハイパーインフレを達成できると豪語するなら、2%のインフレ目標達成は朝飯前でしょうから是非黒田氏にその実現方法を伝授するべきではありませんか。それができないならハイパーインフレを語る資格はないのではありませんか。それは学校の運動会の駆けっこでビリの生徒が自分は100m走の世界記録が出せるというようなもののような気がします。

【質問5】
今の日本でどうやればハイパーインフレになるのでしょうか。中学の公民の教科書に書いてありますが価格は需要と供給の関係で決まります。ハイパーインフレになるには需要が激増し供給が全く追いつかなくなり極端な物不足になる必要があります。デパートやスーパーや百円ショップなど、すべての店舗の棚が空っぽになり、食料品を買うためには何時間も列に並んで待たなければならない状態になることです。ある日突然、日本人の食欲が旺盛になってすべての食糧を食べ尽くしたとしても、中国、米国、オーストラリア等から輸入品が入ってきますので、それさえ食べ尽くさなければハイパーインフレにはならないのですがそんなに食べられますか。百円ショップの商品も中国製が多いですからいくらでも増産は可能だし、増産すれば逆に値段は下がるのではないでしょうか。人手不足なら大規模にロボットを導入するようです。

【質問6】
原氏のように将来不安をかき立てる人がいますので、消費は落ち込んでいます。更に将来消費増税が控えていますからますます消費は減り、デフレから脱却できそうもありません。それに少子高齢化でますます消費は縮小していきます。将来AIが職を奪うと言われていますから更に不安はつのります。こういった状況で質問5で書いたような消費の爆発的な拡大はありそうもないと思いませんか。

【質問7】
国の債務は過去130年間ほぼ同じペースで増え続け500万倍になりました。
http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/no301-a00c.html
国の債務は今後も10倍、100倍と同じペースで増え続けると思いますが同意しますか。日本は過去15年間では国の債務の増加率においては世界最低レベルであり、債務のGDP比が大きくなっているのは単にGDPが伸びないだけだと思いますが同意しますか。

【質問8】
債務のGDP比を減らす方法はマクロ計量モデルを使った分析で分かっております。それは内閣府のモデルでも日経もモデルでもその他のモデルでも結論は同じで財政を拡大しGDPを増やせば良いということです。これらの試算をご存じでしょうか。

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2018年5月13日 (日)

金正恩が非核化を言い始めた理由(No.302)

金正恩は非核化を言い始め、南北首脳会談を行い、次は米朝首脳会談をすることになった。北朝鮮は絶対に核を放棄しないというのがマスコミの論調であったが、筆者だけは違っていた。例えば2017年8月のサイトでは
http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/no260-4b7c.html
アメリカ等の国が北に核放棄をしなければ武力攻撃をすると脅せば、北朝鮮は屈するだろうと主張した。なぜなら武力攻撃が始まれば、北朝鮮は間違いなく負ける。通常兵器の戦争であろうと、核戦争であろうと結果は同じであり、北朝鮮の負けであり、それは金正恩が殺害されることを意味する。

彼は死を覚悟しているわけではない。逆に命だけは助けて欲しいと体制の保証を米国や中国に必死でお願いしているのである。このような状況にあれば、トランプ氏は一切の譲歩は不要であり、「いつでも交渉は決裂する可能性はある。それが宣戦布告になる」と脅し続ければ金正恩はどのようなトランプの要求も受け入れざるを得ない。つまり拒否することは彼の死を意味することだからである。これまで必死に核開発してきたのだから核放棄はあり得ないという論理は成り立たない。彼にとって彼の命ほど重要なものは何もない。

核放棄は可能だが、体制の維持は簡単ではない。核放棄し、大量の軍人を解雇すれば軍人の不満は爆発する可能性がある。今までは、金正恩に逆らう者は死刑を含む厳罰に処せばよかった。核放棄はこれまで敵国と見なしていたアメリカに屈することを意味する。敗北の将に国民は服従し続けるだろうか。北朝鮮はこれから内乱の危機に晒され続ける。金正恩の強がりを向ける相手は日本しかいない。日本が北朝鮮に攻撃してくる可能性はゼロだから日本には何を言ってもよいわけで最大限の侮辱的な言葉で日本を非難し続けるだろう。それは金正恩が自分は強いのだと国民にアピールできる唯一の相手だからである。日本だけは核施設の破壊には立ち会わせない。北朝鮮国営の朝鮮中央通信は5月12日、日本人拉致問題について「解決された」と主張、日本政府の拉致問題提起を「誰かの同情を買い、過去の清算を回避しようとしている」と非難した。囚われの身の米国人3人を釈放したのと対照的である。金正恩にとっては反日感情をかき立てて国民の支持を得るのが精一杯である。拉致被害者を返すようなことがあれば、国民の金正恩に対する反感が更に強まるのであり、このタイミングで拉致被害者を返すことはあり得ない。

もし完全な核廃棄を北朝鮮が行った場合、金正恩体制の維持は誰がどうやって行うのだろうか。単にアメリカが攻撃をしないというだけでは体制維持は難しいのではないか。体制維持というのが、金正恩に逆らう者は片っ端から死刑を含む厳罰に処すという恐怖政治の維持だというのか。これはアメリカも韓国も受け入れられないのではないか。張成沢氏の粛清と関連し、幹部ら約1000人を処刑。その家族ら2万人を収容所送りにしたとの情報もある。相当の人数を処刑したのは間違いない。金正恩は前代未聞の大虐殺を行った犯罪者だが、本当に彼は許されるのか。肉親を殺されたら激しい怨みを持つのは当然であり、そのような国民が多数彼の周りにいるのは間違いない。恐怖政治を続けるなら恐ろしくて誰も手を出せないが、恐怖政治でなくなれば黙っていないのは北朝鮮の国民だろう。本当に自由な世界になれば彼の退陣を求めるデモが始まり、それが過激化するのは目に見えている。それを不満を抱える軍が取締をするのか。あるいは軍の一部が反乱を起こす可能性もある。

金正恩の恐怖政治体制を米国軍が守るだろうか。そもそも米国軍に守られた北朝鮮政府というのは中国が許すわけがない。北朝鮮にどのような政府を樹立するのかは中国と米国が話し合って決めるのだろう。これから非常に難しい問題を解決しなければならなくなった。

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日本の国の借金は130年間で500万倍になった(No.301)

政府は6月にも新財政健全化計画を発表しようとしている。どうやって国の借金である将来世代へのツケを減らそうかと一生懸命である。しかし次のグラフを見て頂きたい。

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1887年には国の借金は2億円程度だったが、今やそれが1000兆円を超えている。つまり130年間で借金が500万倍になったのである。財務省は国の財政を家計に例える。この家計では借金を500万倍に増やしたが、全然破綻していない。ゼロ金利で銀行はまだいくらでも貸してくれる。この家計は無駄遣いをして借金を500万倍に増やしたのだろうか。いくらなんでもそれは無理。この右上がりのグラフを見れば分かる。この家計は借金をずっと増やし続けていて返したことがない。借金をしてそれを次の世代で返していくということは決して行わず、次の世代も更にその次の世代も借金を増やし続けているのだ。この家庭は先祖代々から不謹慎なのだろうか。いやどんなに不謹慎でもそれは無理。普通なら銀行が貸さない。

実はこの家庭は通貨発行権を持っていて、どんどんお金を刷りながら借金を増やしているのである。要するに130年間でお金の量を500万倍にしたというだけだ。人口が500万倍になったわけではなく、お金の量を増やしただけだ。人口が減ってもお金を増やせばもちろん経済は拡大する。お金の量が増えれば取引が拡大し経済が発展するからどこの国もお金を刷り続け借金は増え続けている。次のグラフは国の債務の推移をOECDのデータを使って表した。

         出所:OECD Economic outlook 102、2017
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このグラフで分かるように、どこの国も債務を増やしており、日本は最も増やさない国の一つである。500万倍まで増やしておいて今更なぜ借金を増やさないように努力するのかが分からない。通貨発行をせず、130年間、国の借金を増やさなかったとすれば、日本は今頃大変貧乏な国になっていた。国の豊かにするには、通貨の量を増やし経済を活性化しなければならないのは自明だ。国の借金が1000兆円を超したというのは1通過点に過ぎない。これからの世代は借金がこの10倍、100倍、1000倍というように増やして行くに違いないし、決して借金を返そうとはしないのである。つまり借金は次世代へのツケではあり得ない。もちろん将来デノミがあって借金が一気に100分の1とか1000分の1になるかもしれないが、GDPも同様に減るのだから実質的に借金が減ったことにはならない。時々問題にされるのは債務のGDP比であり、これを次の図で示した。

        出所:OECD Economic outlook 102、2017

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このグラフで分かるように日本は債務のGDP比においては世界最悪である。その理由は債務が増えたからではなく、デフレでGDPが増えなかったからである。日本は諸外国に比べGDP成長率が際立って低いということは次のグラフで分かる。

        出所:OECD Economic outlook 102、2017

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日本だけが成長しない理由はデフレである。少子高齢化で年金がもらえなくなるのではないかという不安、国の借金増大で将来増税があるのではないかという不安、バブル崩壊で巨額の損失を被った人が、再び同様の損失が出るのでは無いかという不安などがあり、消費や投資を控えていて経済が成長しない。国の債務は増大するが、GDPは伸びないために債務のGDP比は異常に高い値になった。この異常な値を正常に戻すには財政拡大でデフレから脱却し、普通の国並のGDP成長率を取り戻せばよいだけだ。

次のグラフは縦軸に債務のGDP比、横軸に2003年から2017年までに国の債務がどれだけ増加したかを示している。このグラフより、債務を増やさない国の債務のGDP比が大きくなり、逆に債務を大きく増やした国の債務のGDP比は小さくなることが分かる。これは債務を大きくするということは財政赤字を拡大するということであり、その場合はGDPが増え債務のGDP比は減少するということである。

        出所:OECD Economic outlook 102、2017

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次の図は政府支出を拡大すれば、名目GDPは伸びるというグラフである。政府はGDPを600兆円にするのを目標にしているが、財政を拡大すれば、簡単にしかも短時間でその程度の経済成長は達成できるのである。GDPが増大すれば、債務のGDP比は減少するわけであり、デフレ脱却も達成、2%のインフレ目標も達成、3%成長も達成ということで、長年の悲願であった目標が一気に達成される。

             出所:シェイブテイル日記

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財政出動で名目GDPがどれだけ増加するかは、マクロモデルを使えば計算できる。例えば日本経済新聞のNEEDSというモデルを使った計算結果を次に示す。右の数字は財政出動の額である。大規模財政出動なら100兆円とか200兆円とかのGDP拡大は簡単に達成できる。

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参考のためにインドの財政を次のグラフにした。これで分かるように財政赤字は毎年のように大きく拡大を続けている。もちろん、累積債務は激増しているのだが、債務のGDP比は70%~80%と低いままである。

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次はエジプトの財政である。大幅な財政赤字が続いている。しかし債務のGDP比は70%~100%に留まっている。

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次はアメリカの財政である。財政赤字は続いている。多い時はGDP比で13%もあったのだが、債務のGDP比はやっと100%に届いたというところである。

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【結論】
日本の国の借金は絶え間なく増え続け130年間で500万倍になった。借金は今後も増え続け、次世代もその次の世代も増やし続けるのであり、将来世代が返すということはあり得ない。つまり将来世代へのツケではない。これはどこの国でも言えることであり、借金の増加速度は日本は世界の中で最も遅い部類に入る。日本の債務のGDP比の値は異常に高い。これは単にデフレでGDPの伸びが異常に少なかったことだけが原因であり、財政出動によりデフレから脱却し、インフレ目標を達成し、GDPが増加してくると債務のGDP比は普通の国のレベルに戻って来る。

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2018年5月 7日 (月)

セクハラ行為を進化論で考える(No.300)

福田財務次官の事件がセクハラなのかハニートラップなのか、議論は白熱したが、マスコミの論調は圧倒的にセクハラ論だった。ネットではこれがハニートラップであるという証拠が次々挙げられた。進化論を考えればセクハラの深い意味が理解できる。

例えば、強姦事件が絶えないのはなぜかを考えて見よう。2人の男性を考える。Aは女性に優しい人で女性に人気がある。Bは乱暴で、時々強姦事件を起こす。進化の結果、AとBのどちらの遺伝子が子孫に残るかを考えて見よう。Aは優しくて女性に人気があるのだから幸せな家庭を築き子どもを立派に育てることができるから、遺伝子は子孫に残る。Bは乱暴だから女性は近づかないが、時々強姦事件を起こし、女性を妊娠させてしまう。今は中絶という方法により望まない出産を避ける方法があるが、太古の時代ではそれは不可能だったから産んで育てるしかなかった。つまりBの遺伝子も子孫に受け継がれたのだ。それ故AとBの両方の遺伝子が共存するというのが現代であり、強姦事件は後を絶たない。それを防ぐために様々な制度が作られている。Bが女性に嫌われ、結婚できず、強姦事件を起こして女性を妊娠させても中絶によりBの遺伝子が残らないようにすれば、何十世代の後には強姦事件を起こす人間は少なくなっていく。

それと同様に利己的な人間も利他的な人間も共存する。利他的な遺伝子は進化できず、遺伝子は利己的なのだというのがドーキンスの説だったが、彼の言う利己的、利他的の意味はここで定義したものとは全く異なるので彼の説は無視してよい。自分さえ良ければ他人がどうなってもよいという意味で利己的という言葉を定義するなら、セクハラもハニートラップも両方共利己的である。利己的な人間と利他的な人間で、どちらが多く子どもを残せるだろうか。そもそも人間は利己的、利他的と単純に2つに区分できるわけでなく、一人の人間でも利他的な面と利己的な面があり、どちらが多く子どもを残せるかと言うとどちらとも言えないから、両方の人間が共存しているというのが現状である。

セクハラ防止は強姦阻止ほど簡単ではない。セクハラの定義が明確でないからだ。キャバクラで交わされる言葉遊びがセクハラであるならキャバクラは禁止するしかなく、120万人のキャバ嬢は職を失う。その方が女性は幸せになれるのか。「昔の名前で出ています」という歌謡曲がある。「あなたの似顔をボトルに描きました。ひろみの命を書きました。流れ女の最後の止まり木にあなたが止まってくれるの待つわ。昔の名前で出ています。」水商売が好きな女性はいるし、通常ならセクハラととがめられるような言葉を毎日のように浴びせられても平気な女性が集まる。同じ言葉でも不快と感じる女性と快と感じる女性がいる限り画一的に禁止できない。低賃金に苦しむ女性がまとまったカネを稼ぐことができる数少ない職場でもある。キャバ嬢は女性記者と違ってセクハラを非難することは絶対にしない。セクハラされる苦痛より、男性に全く相手にされない苦痛の方がはるかに深刻ということも無視すべきでない。

何がセクハラかという定義も曖昧だ。「キスしていい?」と言われて喜ぶ女性と不快に感じる女性がいる。前者がセクハラでなく、後者がセクハラだとする。では本当は嬉しいのにわざと不快だったとその女性が言えばセクハラか。つまりある人を失職させようとしてわざとその男性を誘惑しあたかもキスして欲しいような素振りをし「キスしていい?」と言わせたとしたら、彼はセクハラをしたと認定され、その男性は失職する。この方法なら地位のある男性を容易に失職させることが可能となる。今回の福田財務次官のケースでは全く証拠能力の無い音声だけで「有罪」と認定し財務省は懲戒処分とした。世論がそうさせたわけだが、法治国家であれば、許されないことではないか。あり得ないことだが、福田氏が処分を不服として裁判に訴えたら財務省側は負けるのではないか。

日経新聞の働く女性1000人を対象にした調査によれば、セクハラ被害にあった女性の6割超が「我慢した」と答え、その多くが「仕事に悪影響を及ぼすから」を理由とした。ましてや週刊誌にリークする人などいない。福田財務次官に対して女性記者は無断で録音しそれを週刊誌にリークした。女性記者はセクハラを止めさせるためだったと言うが、とてもそうは思えない。こんなことをすればそれ以後誰も彼女の取材を受けようとしなくなるので彼女は記者生命を失うし自分の会社であるテレ朝にも大損害を与える。こんなことをしなくても本当にセクハラを止めさせたいなら、福田氏に直接「セクハラを止めないと週刊誌にリークする」と脅せば十分だった。財務省に直接抗議しても効果覿面だったに違いないし、そうすれば記者生命を失うこともなかった。最悪、福田氏への取材を別の記者に任せることもできたのだし、彼女の今後の記者活動にははるかにその方がよかった。週刊誌にリークするために会い、会話を盗聴し、公開された音声にあるような、まるで親しい恋人同士が交わすような会話をした意図は、単にセクハラを止めさせたかったということではあり得ない。本当の目的は麻生財務大臣を辞任に追い込み、安倍内閣を倒したかったということだ。この女性記者とその上司と上司の夫は昨年来、安倍内閣の倒閣に専念してきていたのだから。

このようなどこにでもある男女の小さなもめごとを理由に、国民が選んだ安倍内閣を崩壊させるべきではないし、政府を機能不全にすべきでもない。

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